2022年01月08日

故人を友とする

「日常茶飯事」 山本夏彦 中央公論社(中公文庫)

 兆民先生 p57〜

 「私が兆民・中江篤介を知ったのは、幸徳秋水の紹介による。秋水は斎藤緑雨の、緑雨は内田魯庵の、魯庵は二葉亭四迷の紹介で知った。
 いずれも故人である。私が知ったとき、すでにこの世の人ではなかった。すなわち、私は死んだ人の紹介で、死んだ人を知ったのである。
 秋水は「大逆事件」に連座して、明治四十四年処刑された、初期の社会主義者の領袖のひとりである。兆民はその師で、秋水の獄死に先だつこと十年、明治三十四年、喉頭ガンで死んでいる。貴君の命はあと一年有半と、医師に見放されたから「一年有半」を書いた。正続二冊ある。一年有半たっても死なないので、大急ぎで「続一年有半」を書いた。
 緑雨の言葉で、今もおかしく思っているのに、「妻は茶漬也」というのがある。緑雨は終生めとらなかったが、秋水が結婚したとき、祝辞として送ったのがこの言葉だという。
「妻は茶漬也、全きをこれに求むるは夫の非道也。夫をして飢えざらしめば、妻の勤務は畢(おわ)れる也。味醂かつ節は一時のみ、茶漬は永久也、云々」
 読んで秋水は破顔したが、かたわらにあった新妻は笑わなかった。この諧謔には底意があると含むところがあったという。
「油地獄を言う者多く、かくれんぼを言う者少し。是れわれの小説に筆を着けんとおもい、絶たんとおもいし雙方の始なり、終なり」
「油地獄」も「かくれんぼ」も、共に緑雨の数少ない小説のタイトルである。緑雨の志は小説にあったが、出来栄(できばえ)は短文に及ばなかった、短文は警句に如かなった。
 当代の文士なら十行を費やすところを、緑雨なら三行にまとめた。舞文曲筆、日本語の可能性の限界をきわめ、文字によるアクロバット(軽業師)の趣があった。のちに芥川龍之介がこれを模して、「侏儒の言葉」を書いたが、もとより緑雨に及ばなかった。
 大正に生まれ、昭和に育った私が、これら故人を知り得たのは、すべて古本による。はじめ私は二葉亭四迷を読んだ。二葉亭の文より人物に傾倒した。二葉亭は、文学は男子一生の事業に非ずと言って、政治に志し、失意のうちに印度洋上で客死した人である。
 古来偉人は近づきがたい。しかるに二葉亭は近づきやすい。いわゆる偉人ではないし、さりとて凡夫ではない。
 今人のうちに友人が得がたければ、古人にそれを求めるよりほかはない。私は早く今人に望みを絶った。二葉亭に親炙すれば、勢いその友人とも昵懇になる。作品、日記、随筆に作者の友人知己が登場するから、芋づる式にそれと知りあいになること、死せる人も生ある人に変わりはない。
 かくて私は魯庵、緑雨の面々を知るにいたった。緑雨の縁で、のちに一葉女史を知る。こうして私は、当時の言語、風俗、人情、物価に通じ、明治初年から末年までを、彼らと共に呼吸したのである。」

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posted by Fukutake at 09:39| 日記