「漱石書簡集」 三好行雄編 岩波文庫
「父親になるのはつまらない(明治三十九年(1906)十二月二十二日 小宮隆太郎あて) p188〜
「君は長い手紙をかいたね。漸く『ホトトギス』を済ましたから今日は用事その他の手紙をかく。これが六本目である。手紙も六本位かくと疲れる。木曜の晩は小説が一章残って大いに勉強しようと思うと午後から色々な人がくる、入れ代り立ち代り(鈴木、中川も来た)、大抵は十分位で帰した。然るに最後に至って債主俳堂主人虚子が車を駆って原稿を受取りにきたのは一番辟易した。僕はまだ書き上げていない。それから書き放して見直してない。それでやむをえず虚子先生に半分朗読を頼んであまり可笑しいと思うテニオハをちょっと直したらもう十時過ぎ、そこへ『中央公論』の滝田先生がやってくる。何でも十一時頃になった。それだから君がきてもやっぱり同じ事であった。くればよかった。
僕、引越をしなければ年末に諸先生を会して忘年会を開こうかと思うが、手紙を出してそうして客を呼んでそうして引越で見合せちゃ面白くないから控えている。何でも先達て東洋城が自ら台所へ出て指揮を司どるといっていたが先生どうするかしらん。
僕、瓦斯会社出張所の前を通って見世にあるランプが欲しくなった。札を見たら十五円である。今に瓦斯でも引く家へ這入ったらこのランプを買う事に致そう。
『鶉籠』が出来た今度来たら一部上げよう。
僕をおとっさんにするのはいいが、そんな大きなむす子があると思うと落ち付いて騒げない。僕はこれでも青年だぜ。なかなか若いんだからおとっさんには向かない。兄さんにも向かない。やはり先生にして友達なるものだね。
おとっさんになると今日のような気分で郁文館の生徒なんかと喧嘩が出来る訳のものじゃない。世の中に何がつまらないって、おとっさんになるほどつまらないものはない。またおとっさんを持つより厄介な事はない。僕はおやじで散々手こずった。不思議な事はおやじが死んでも悲しくとも何ともない。旧幕時代なら親不孝の罪を以て火あぶりにでもなる倅だね。君は女の手に生長したからそんな心細い事ばかりいう。段々自分で心細くしてしまうと終始(しまい)には世の中がいやになっていけない。君の手紙を見て思い出した。今度僕のかいた小説をよんで御覧。あれは天下の心細がってるものによませようと思って書いたものだ。あれを読んでどんな感じが起こるか聞きたいと思う。
僕はこれで色々な人から色々に自分の身の上を打ちあけた手紙や何かを受取る男だ。人にそんな事いえるうちは人間がつまり純粋なのである。その代わり自分で自分のいう事を大袈裟に誇張する事がある。自分は当時はそれほど気がつかないでもあとからそう思う。君もそうだ。今に細君でももらうと大愉快になるかもしれない。つまらん事をかいて長くなった。これからちょっと昼寝でもしようと思う。何だかだるくていけない。
十二月二十二日 夏目金之助
小宮隆太郎様」
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