「漢詩名句 はなしの話」 駒田信二 文春文庫
棺(かん)を蓋(おお)いて事始めて定まる p60〜
「(大意)
捨てて顧みられることのない道端の池でも、また、むかし伐り倒されたままの桐の木でも、その一斛(一石)の古い水の中に竜がかくれていることもあるし、また、百年後に琴に作られることもあるのだ。人間の価値は生きているあいだには決まらない。棺桶に蓋をされてから、はじめて真価がわかるのだ。
さいわいに君はまだ若いのだ。憔悴して山中に暮らしているなんて、惜しいことではないか。
深山窮谷は君のような若者に居るところではない。雷や魍魎や狂風におそわれるだけだ。そんなところから早く出て来たまえ。
君不見道邊廃棄池 君見ずや道辺廃棄の池
君不見前者摧折桐 君見ずや前者摧折の桐
百年死樹中琴瑟 百年の死樹琴瑟に中(あた)り
一斛舊水蔵蛟龍 一斛の旧水蛟龍を蔵す
大夫蓋棺事始定 大夫棺を蓋いて事始めて定まる
君今幸未成老翁 君今幸に未だ老翁と成らず
何恨憔悴在山中 何ぞ恨まん憔悴して山中に在るを
深山窮谷不可處 深山窮谷処(おく)る可からず
霹靂魍魎兼狂風 霹靂魍魎兼ねて狂風
杜甫(七一二ー七七〇)の「君不見簡蘇徯」(君不見、蘇徯に簡する)と題する楽府。(蘇徯は杜甫の友人の子。簡は手紙。)」
「君見ずや」と歌うのは楽府の一つの形である。 (「君不見ずや黄河の水天上より来たるを」や「君不聞かずや胡笳(ふえ)の声最も悲しきを」など。)
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