2022年01月01日

実をとれ

「戦国策」 近藤光男 講談社学術文庫 2005年

禍を転じて福と為す p106〜

「燕の文公のとき、秦の恵王は自分の娘を燕の太子の夫人とした。文公が亡くなって易王が即位したが、斉の宣王は燕の喪に乗じて攻撃をかけ、十城を取った。そこで武安君蘇秦は燕のために斉王に献策することになった。蘇秦は再度、拝の礼をして祝辞を言上すると、今度は斉王の顔を仰ぎ見ながら弔辞を述べた。斉王は戈のつかに手をかけ、蘇秦に退出を命じ、「これはなんとしたことだ。祝辞と弔辞をくっつけて述べるとは」と言った。

答えて、「どんなに飢えた人も、鳥兜(トリカブト)を食べはしませんが、それはなぜかといえば、かりそめに腹を満たしたところで、死と隣り合わせである悲哀に変わりはないからであります。ところで燕は弱小国家ではありますが、強国、秦の、若き女婿でございます。王には燕の十城をまんまとお取りになって、強い秦と仇敵の関係とおなりです。いえ、弱い燕を先鋒とし、強い秦に後方を制圧させて、天下の諸侯の精鋭部隊を招き寄せなさいますのは、鳥兜を食べるたぐいでありましょう」と。斉王「ならばどうしたものか」。

答えて、「聖人が事を処理されるには、禍を転じて福とし、失敗がもとで成功するものです。かの斉の桓公はその夫人に悩まさせれたことから、覇者としての名がますます尊くなりましたし、晋の韓献はひつ(必の字におおざと)の戦いに罪をかむりましたが、そのことから三軍の将の結束はいよいよ固くなりました。これらはいずれも禍転じて福とし、失敗がもとで成功した実例でございます。王には、臣の申すことをお聞き入れいただけるのでしたら、燕の十城をお返しになり、辞を低くして秦にわびをお入れになるに越したことはありまあせん。秦が、自分のことが原因で、王が城をお返しになったと知れば、秦は王に恩義を感じます。つまり強い仇敵の関係を捨てて厚い交わりをお立てになるなることになるのです。そのうえ、燕、秦がそろって斉に仕えることになれば、大王の御命令には天下の諸侯皆なが服従いたします。つまり王には中身の空っぽのことばを秦にお与えになり、十城で天下をお取りになるわけです。これこそ覇王の功業です。いわゆる『禍いを転じて福となし、失敗がもとで成功する』ということです。」と。斉王は大いに喜んで、城を燕に返し、黄金千斤を贈って謝った。そのあとで、泥土の中に頓首して、どうか兄弟のよしみを結んでいただきたいと願い出て、秦に謝罪した。」

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posted by Fukutake at 08:37| 日記