2022年01月01日

自衛隊

「かいつまんで言う」 山本夏彦 中公文庫 1982年(初出 ダイアモンド社 1977年)

 戦争感覚のない国 p179〜

 「(中東紛争において)アラブの尻おしをする大国があれば、イスラエルの尻おしをする大国もある。ただイスラエルには、いまのアラブほどの金がない。イスラエルははじめわずか六日でアラブを破ったが、次回は手間どった。この次はさらに手間どるだけでなく、代理戦争でなくなる恐れがある。
 イスラエルの旗色が悪ければ、世界中のユダヤ人が捨ててはおかない。その用意は着々と出来ているはずである。世界戦争になるかもしれないという噂は、ユダヤ人から出たのかもしれない。時々、世界はその噂でもちきりになる。ヨーロッパはそれを恐れている。
 恐れていないのは日本人で、それは戦争感覚が欠如しているせいで、世界広しといえども、この感覚を持たないのは日本人だけである。
 どうしてそれがないかというと、軍備がないせいである。文事あるものは必ず武備ありと昔は言ったが、今は言わない。わが国は武備を廃して三十年になる。
 自衛隊があるというものがある。あれは立派な軍備だというのである。けれども、自衛隊は国民の支持を得ていない。あれは天災地変のとき出動して、そのときはありがたいが、それ以上のものでも、それ以下のものでもないと、国民の多くは思っている。日かげものではないまでも、それに近いものだと思っている。
 ところが、西洋に行けば、立派な軍隊なのである。ことに海上自衛隊は、海外に出ると、世界の海軍が受ける同じ敬意を受けて、海外では海軍かとみずから驚くのである。
 それでいて国内に帰ると、元の木阿弥で、だから複雑した劣等感と優越感をいだくのである。
 いずれにせよ、国民が支持しない軍隊は軍隊ではない。一旦緩急あって、某々国に攻めらたら、ひとたまりもない。一週間とは支えられないだろう。総くずれになるだろう。なっても国民は文句をいえない。国民は自分が支持しなかった軍隊に、守ってもらうことはできない。
 かくて、世界動乱の兆しは、他の国民の目に見えるときでも、わが国民の目には見えないのである。戦争の危機感覚というものは、あらゆる国にあって、わが国だけないのである。しかも外国人はわが海上自衛隊を海軍とみなしているから、陸上自衛隊も陸軍とみなすだろう。味方ならあてにするだろうし、的なら攻めるだろう。それに戦争感覚がないとは諸外国の想像を絶することである。
 ここに一億人以上の人口を擁し、一流独自の工業国で、それでいて戦争感覚がない大国が、有史以来初めてであるのである。世界はそれを理解しないだろう。この未曾有の存在によって、我も人も近く迷惑するのではないか。」

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四十五年前の自衛隊論。未だ変わらず。

posted by Fukutake at 08:30| 日記