2021年10月28日

漱石の日常

「私の「漱石」と「龍之介」」内田百問 ちくま文庫 1993年

漱石先生の思ひ出拾遺 p46〜

 「漱石先生が相撲を見に行くのと、謡をうたふのを私は好かなかつた。
 しかし、お止めなさいなどと云い出せる柄でもないので、黙つて腹の中で、自分の崇拝する先生らしくもないと不満に思つた。

 寒い日に牛込柳町から先生のお宅の方に歩いていくと道端で先生に出くわした。毛皮の襟巻のついたマントを着て、旦那様のような顔をしてゐた。どちらへ御出かけですかと聞くと、相撲だよと云われたので、多くを談らないと云う気がして、お辞儀だけして別かれた。

 木曜日の晩の漱石山房に滝田樗牛氏が来ると、先生と二人で相撲の話ばかりするのでいらいらした。相撲が非常にきらひだつたのは、さう云う事が反撥した為でもあるらしい。先生が亡くなられてから二昔過ぎたこの頃では、新聞で相撲の噂を読むのがきらひでもなくなった。
 謡は文学者のたづさはる事ではないと、当時の若い判断でさう思ひ込んだ儘、二十年後の今でも矢つ張りさう思つてゐる。いつぞや「新潮」の座談会の席上で、宝生新氏にお目にかかった時、漱石先生の謡は上手でしたかと尋ねたら、それ程でもないと云う話であつた。仮に等級をつけるとすると、何段だとか、有級者とか、さう云う程度になつて居られましたかと聞いたら、そこまでも行かないと云う事だつたので少し安心した。

 木曜日でない日の昼間に先生の許に行つて、門から玄関に近づくと、竹垣の向こうの書斎から謡の声が聞こえて来た。つるつるした、油を塗つた様な声であつた。それが私の電鈴を押した途端にぱたつと止んで、中途で切れたまま静まり返つた。女中がお通り下さいと云うので、先生の前に出て、お辞儀をして顔を見たら、いつもの通りのこはい顔であった。」

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謡曲好きの漱石

posted by Fukutake at 08:02| 日記