2021年10月14日

カルタゴの最後

「戦史の名言 −戦いに学ぶ処世訓−」 是本信義 PHP文庫

スキピオ・エミリウス p59〜

 「第二次ポエニ戦争の敗北もものかは、より以上の繁栄を誇るカルタゴに対しローマは、ついにこれの討滅を決意したのである。

 まず、カルタゴの隣国ヌミジア王国を扇動してカルタゴ領を侵略させ、たまりかねたカルタゴがヌミジアに開戦するや、「ローマの許可なく、他国と開戦しない」との前戦役の平和条項を盾に取ってこの戦争に介入、そして次々と無理難題を吹きかけた。
 まず、カルタゴ貴族の子女三百人を人質に取ってローマに送った。
 次いで、「貴国の安全は、以後ローマが保障するので、無用となった武器はすべて差し出せ」と強要し、カルタゴの持つ武器、鎧、盾、槍、剣など一式二十万組、投石機(カタパルト)二千基を押収した。
 この武器解除により、カルタゴの防衛力を全く奪ったローマは、最後の難題を吹きかけた。彼らは、カルタゴが常に事を起こし地中海の平和を損なうのは、その海洋国家としての対外進出にあるとして、現在のカルタゴ本市を捨て、内陸十二マイルへの移転を命じたのである。

 海洋通商民族であるカルタゴから海を取り上げることは、死ねというのに等しい。
 この期に及んでようやくローマの本心を知ったカルタゴは、もはやこれまでとローマと戦うことに決して戦備にかかった。
 すなわち神殿、家屋に使われている鉄から刀や槍を、屋根の鉛板で投石機の弾丸を作り、女子はその髪を切って弓の弦、投石機のバネに供するなど、またたく間に強力な戦備を再建したのである。こうしてBC一四九年、第三次ポエニ戦争が始まった。
 この戦いに運命をかけるカルタゴは一致団結して頑強に戦い、ローマ軍はいたずらに損害を増すばかりであった。そこでローマは、知勇兼備の若い将軍スキピオ・エミリウスを指揮官に登用した。彼はそれまでの力攻めを改め、カルタゴ本市を包囲し、その飢えを待った。

 BC一四六年一月、ローマ軍はついに城壁を突破し、七昼夜にわたる凄惨な市街戦の末、七十万を数えた市民のほとんどが殺され、前後三回、百二十年にわたるポエニ戦争は幕を閉じたのである。
 ローマ元老院はスキピオにカルタゴ抹殺を命じ、こうして“地中海の女王”カルタゴは、十七昼夜燃え続けて、ついに歴史から姿を消したのであった。
 小高い丘から炎上するカルタゴ市を望んでいたスキピオは、秘書であり友人でもある大歴史家ポリビウスを顧み、「アッシリア滅び、ペルシャ、マケドニアもかくして滅びぬ。次に滅びるは必ずローマならんか…」と暗涙を流したと伝えられる。」

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中国も滅ぶ、アメリカも滅ぶ。
posted by Fukutake at 07:59| 日記