「荷風の昭和」川本三郎 日中戦争下の日々
「波」2020年11月号 新潮社 より p109〜
「…『日乗』昭和十二年八月十二日には、「北千住所見」という下町散策をする荷風らしい文書がある。
「電車通の燈影商店の屋根に遮られたる小径のほとり、夏草生茂りたる空地には、柵を立て廻したり。虫の声暗き草の中より聞ゆ。街燈の光に路傍に立てたる活動写真の画看板の人物おぼろに見ゆ。この画の前に男、シヤツに半ヅボン草履ばきにて、眼鏡をかけ、自転車にもたれ、アッパッパ着たる若き女と私語す。女は自転車のハンドルに片肘をつき、互いに顔と顔とを近けたり。表通の方より蓄音機の流行唄きこゆ。暗き空地のかなたは、放水路の堤防にて、闇はいよいよ濃く、星の如き燈火のところどころに点々たるのみ。忽然遠くの嵐の如き響起こり夜行の列車闇の中を走り行けり」…
風景を何よりも愛した荷風にとって、人間もまた風景のひとつだった。荒川放水路に近い北千住の裏町を歩き、虫の声の聞こえる空地にいる飾らない男女の親しげな様子、戦時下とは思えないなごやかさに荷風は心をなごませている。
細かいことだが、ここで若い女性が着ている「アッパッパ」について注をつけたい。夏用の簡素なワンピースのこと。関東大震災のあとの生活の洋風化と共に広まった。値段も安く、庶民に愛用された。
谷崎潤一郎の『細雪』では、昭和十三年七月に京阪神を襲った大水害の時、蒔岡家の次女、幸子と貞之助夫妻の家で働く「女中」のお春が大水のなか歩いて帰って来た様子を「彼女は先刻アッパッパのようなワンピースを泥だらけにして濡れ鼠で帰って来た」とある。
『濹東綺譚』にも出てくる。
「じだらくに居れば涼しき二階かな」の句を載せ、近年の東京の暑さには「じだらく」であるのがいいのかもしれないとやや自嘲的に書いたあとにこうある。
「女子がアッパッパと称する下着一枚で戸外に出歩く奇風については、友人佐藤慵斎君の文集に載っているその論に譲って、ここでは言うまい」
明治の人間には、ただ布をまとっただけのようなアッパッパは「下着」に見え、それを着て外に出るとは「奇風」にしか思えなかったのだろう。「佐藤慵斎」とは佐藤春夫のこと。
この時代、「出征兵士」と「アッパッパ」という日常が荷風のなかで共存している。」
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昭和十二年の東京下町
2021年10月11日
「出征兵士」と「アッパッパ」
posted by Fukutake at 08:48| 日記