2021年09月27日

学習院文藝部委員長

「夢の原料」 三島由紀夫 三島由紀夫全集30 新潮社 1975年
 
p29〜
 「私は中等科四年の時であつたが、文藝部委員になり輔仁會雜誌の編集に携はつた。少年といふものは虚栄心の強いもので、早く委員長になりたくてたまらなかつたのを憶えてゐる。しかし委員長になつたのは、高等科二年の時であつたと記憶する。高等科三年のときは、総務部委員とつとめ、各部の豫算を割りふつて、あちこち削減して困らせる権力的楽しさを満喫した。実際、少年の社会も歴然たる権力社会で、腕力で勝てないものは役つきになつて、無形の腕力をふりまはしたいとのぞむものである。文芸部委員になつて最初の楽しみは、日頃威張つてゐる先輩が、少女のやうに恥らひを見せて、卑屈な態度で持つてくる創作の原稿を、愚作と見れば、情容赦もなく没にすることであつた。

 そのころの文藝部の部室は、木造の汚いバラックの一室で、古原稿やゲラや古雑誌が山と積まれ、それらが厚い埃をかぶつてゐた。誰も掃除なんかする者はなく、私もまた、それらの夥しい埃と、ドアをあけるや否や鼻をつくカビくさい匂ひに、むやみと文学的な雰囲気を感じてゐた。そこが恰も、n.r.fの編集室であるかのやうな氣がしたのである。

 大體少年の考へる文学などといふものは、淡いあこがれに充ちた甘美なものである。どんなに醜悪な題材を扱つても、本質は、「文学へのあこがれ」に中毒した甘美なものである。そこで私は、文藝部委員をやつてゐた間、毎日が実に幸福であり、満ち足りてゐたことを告白する。そのころの生活は。「詩を書く少年」という短編小説に書いた。

 印刷所は大日本印刷で、先輩のお父さんがここの重役をしてをられて、その縁で安くしてもらつてゐたのだと記憶する。一人前の顔をして印刷所へ出かけてワリツケをやつたり、出来て来たゲラを校正したりする、文学に伴う事務的な仕事も、私には何か甘美なものに感じられた。それもこんな散文的な仕事に、「文学へのあこがれ」といふ美しい靄がかかつてゐたためだと思われる。

 文学も、世の中のほかの仕事同様「あこがれ」だけでは全然始末のつかぬものだ、と気がついたのは、ずつとあとのことである。
 学校時代のなつかしさは、もう一度あの靄を現実の上にフンワリかけてもらひたいという贅沢な夢なのであらう。ところが他の実業人と文士のちがふところは、実業人は現実に徹しなければならぬのだが、小説家はこの世の現実のほかのもう一つの現実を信じなければならぬといふところにあるのだろう。…」

(<初出>輔仁會雜誌・昭和三十五年十二月)

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夢の原料は、あの部室の埃の中にあった。

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posted by Fukutake at 08:28| 日記