「オルレアンのうわさ」 エドガール・モラン みすず書房 1973年
(だれ一人として行方不明になったという届けなど警察には出されていなかったのだが、いく人もの女性がさらわれ見えなくなってるといううわさが、まち中を揺り動かした。オルレアンの中心街にあるユダヤ人の所有する婦人服の店の試着室の中で、女性誘拐が行われているという話が、いく万の人々に信じ込まれていった)
うわさの進展 p127〜
「反ユダヤ主義をはげしくまき散らしていく根源は、さきの戦争のときの「対独協力者」とともに、一掃されていたのである。他方、ユダヤ人たちも他の人と全く同じ人間なのだという常識が確立しているようだとはいうものの、かれらはやっぱりどこか違っているという感情は、広く抱かれていた。
戦争ののちにも、「ユダヤ人の店に買いに行く」という言い方を人々はしてきた。このことばは、「値引きする」ということと「かれらの店は他とちがう」ということの、二つの意味をこめていたのだ。若い女性向けのこれらの新しい店が、たちまちのうちに好結果をもたらすと、それは、ユダヤ人は「すばしこい」とか、かれらはいつでもうまいやり方を心得ているとかいうことを示すことになる。こんなに安く売ることができるためには、かれらは「法外に儲けてきた」のだろうか、ともかくそのことは客の利益にはねかえってくる。これらすべてのことは、それをこえると、あるグループの他のグループへ向けられている、ただの蔑(さげす)みの感情であるものが、けわしい敵意へと一変してしまう目に見えないある一定の水準には、達していなかったのである。
そこで、この目に見えず穏やかな仕方でなされている区別は、ユダヤ人にとってもそうでない人々にとっても、意識されないままであった。けれども、この区別が存在していたことをはっきりと、次の事実が確証していると私たちには思える。その事実というのは、うわさがユダヤ人に近い人々の場に達したり、もっとまれなことだがユダヤ人の耳に届いたりしたときに、うわさのなかからユダヤ人のテーマが除外されて、話されていたことである。ユダヤ人社会の代表が、うわさはきわめて険悪な様相を帯びてきたときしか、(かれの仲間の人々によって)忠告されなかったことは、偶然というより、重要なことであると、私たちに思われる。
あるユダヤ人は、一九三二年以来、オルレアンの人なのであり、毎日かれの営む電気器具店のなかで、いく十人もの客と親しくふれ合い、またカフェでのたくさんの友だちをもっている愛想がよく、人好きのいい男なのであるが、かれの事務所のなかで、ユダヤ人に対してあるうわさが流れていると知らされたのは、五月三十日の正午なのである。(五月三十日〜三十一日にうわさがピークを迎える)
五月三十日〜三十一日に、うわさの広まりは、突然に残酷な仕方で、ユダヤ人商人たちのところに達する。かれらにやってきたものは、たんに女性誘拐を告発するというだけでなく、反ユダヤ主義の脅威なのである。そしてこの脅威は、のちに続く数日の間に、かれらにとってまさしく本質的な側面をなすようなひとつのいまわしい中傷となっていく。」
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