2021年08月31日

シンガポール占領の思い出

「井伏鱒二全集 第十巻」 筑摩書房 1997年

シ港陥落前後 p505〜

 「日本軍に対する現地人の和親協力の気持ち。はじめて私がそれを感じたのは、イポの町からコーランポーに向かつてトラックで従軍して行く途中のことであつた。自転車部隊の一人の兵隊が、自転車のチェーンが破れ落伍して修繕してゐるところへ、二人のマライ人が水を入れた洗面器を持つて来て兵隊といつしよにチューブの破れた箇所をしらべてゐた。
 すると沿道の一軒の家から、もう一人のマライ人が新しいタイヤを肩にかけて現はれ、兵隊さんにそのタイヤを進呈したいといふ手真似をしてみせた。兵隊さんの顔には喜色が現はれた。こんなのは一つの例にすぎないかもしれないが、マライにおける日本軍を包む四囲の環象が見えたやうに思はれた。

 しかし現地人がことごとく、こちらの思ひ通り絵にかいたやうに協力の姿を見せるわけではない。なかには見当ちがいのことを云ふものもゐた。シンガポール陥落直後のころ、私と知り合ひになつた或るユーラシアンは、或るときこんなことを云つた。
「自分は百二十円の月収だが、百四十円の家賃の家に住んでゐる。女中も二人たとつてゐる。貯金が次第になくなつて行く。」
 なぜ小さな家に住まないのかと私が疑ふと、彼は次のように答へた。
「自分は戦前にも、反英主義者として、二年半も牢に入れたれてゐたことがある。今や英人を駆逐した日本の治下にあつて、親日家をもつて任ずる自分が小さな家にすむのは恥である。英国を敵とする日本軍の面目のため、かつては反英主義者であり、今や親日家たる自分は、堂々たる立派な家に住む必要がある。故に、月給を上げてもらふやうに運動してもらひたい。」

 また或る一人のマライ人は、日本人に協力するにもどんな風に協力したらいいかを知らなかつた。彼は或る時私の事務所にやつて来て、無言のまま部屋の隅に立つてゐた。そして私が椅子から離れると、彼は急いで私の背後に来て私のズボンの着け工合ひをなほし、シヤツの襟を折れ工合ひをなほした。マライ風に衣紋をつくろつてくれたのである。
 しかし、なぜそんな変な真似をするのかと私が驚くと、彼は何も云はないでしよんぼりとして帰つて行つた。」
(「東京新聞」昭和十九年二月二日)

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posted by Fukutake at 08:14| 日記