2021年08月31日

フォン・ノイマン

「フォン・ノイマンの生涯」 ノーマン・マクレイ著 渡辺正・芦田みどり訳 朝日選書 1988年

p150〜

 「一九二九年ごろジョニーは、ヨーロッパが恒久平和を生む政治体制に落ちついたとは感じていない。高い文明を誇ったアテナイ人がメロス島を蹂躙した古代の例を引いて、ドイツの「一九一八年の仕返し」もありうることをよく話した。音楽や数学を愛するドイツ人も、そのうち恐ろしいことをしかねない。祖国ハンガリーの領土分割という悲しい記憶もあったから、おだやかで思慮深い顔つきをしていても専門バカにすぎないゲッチンゲンのドイツ人が、チェコ(彼はCzechoをいつもドイツ語流にTschechoと綴った)ごときがドイツ領ををごっそり奪ったのに怒り心頭だと知っていた。戦いに疲れたハンガリーとドイツが新たな脅威の種にならないように、英仏は中部ヨーロッパにきびしい戦後処理を課したのだ、と彼は書いている。

 二八年に書いたゲーム理論の論文は、複数の主体が争えば終点は「鞍点」になると論証したもの。鞍点とは、こちらも相手もお互いにリスクが最小、利益が最大と感じるような状態をいう。第一次大戦後のヨーロッパには、国家主義のドイツが東進し、かつての領土を奪還しようとロシアに戦いを挑む気配があった。ヒトラーが現れたとき、ヨーロッパに戦争は起こるだろうがこの狂人にはまずロシアと戦ってほしい、とジョニーは折り折りに願っていた。そうなったら、はざまのハンガリーもポーランドもまずい立場に置かれるだろうが。失地回復を願うハンガリーは国家主義ドイツの轍を踏むかもしれないが、自分は「そちら側で身動きとれなくなるのはいやだ」と友人に語っている。

 そんな思いでいたからといって、若獅子ジョニーは不機嫌だったわけでもない。とはいえ、できればアメリカに行きたい、身につけた英語を武器にして、とずいぶん早いころから周囲には言っていた。英語など外国語の習得にはうまいやりかたをあみ出した。手ごろな本を短時間にうんと集中して読み、文章と単語の感覚を頭に刷りこんだのだ。

 一九五〇年代の初め(プリンストンでコンピュータ開発をしていたころ)、ディケンズ『二都物語』の冒頭十数ページを一語もたがわず暗唱してハーマン・ゴールドスタインの肝をつぶしている。英語の百科事典もあさって、興味をもった項目を一語一句覚え、フリーメーソン運動、初期哲学史、ジャンヌ・ダルク裁判、南北戦争のいきさつなどつぶさに知っていた。ドイツ語のほうは子供時代に同じことをオンケンの『世界史』でやった。だから彼は古代史を、ドイツふうの軍国主義に色濃く染まったか見かたで学んだらしい。…」

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脅威的な記憶力
posted by Fukutake at 08:11| 日記