「宮崎市定全集 21 日本古代」 より
金印(「漢委奴國王」) P225〜
「...この金印の発見はまったく偶然におこったことであり、学術的な用意のもとに行 われたものでなかったから、それが偽物ではないかと疑うものが多く、学界にその真 偽をめぐって、活発な議論が行われた。疑問のおもな点は、第一に鈕がへび形であ ること、第二に印文が刻劃であること、第三に印文の「漢委奴國王」の五文字につい てである。
まず蛇鈕であるが、漢制では諸国王は槖駝*(たくだ)、列侯はカメというのが通念で ある。ただし、委奴國王印の鈕はへびでなく、螭(みずち)の形に見るならこれで良い という説もある。また漢代の金属製の印は、多く鋳込んだ印であるが、玉の印璽も あって、それがすでに彫ったものであれば、金印を刻してもさしつかえないはずだとい う意見も成り立つ。 それより大きな問題は、やはり、「漢委奴國王」という印文の示す意味である。まず 問題になるのは、漢という字である。いったい中国の皇帝は、宇宙にただ一人存在し 全人類の主権者たるべきものなので、皇帝にはこれを時間的空間的に限定するよう な形容詞はいらない。したがって漢皇帝というような表現をとらず、つねにただ皇帝だ けである。しかるに中国以外の外国君主は、皇帝から王や公に封ぜられたさい、かな らず委託をうけた範囲を明記する。濊(わい)王とか滇(てん)王とかの類である。とこ ろでこの王はすでに皇帝から封ぜられたものであるから、そこには不必要な漢という 字を付する必要なまったくない。それに当時の印はいわゆる方寸という小さな面積で あるから、そこには不必要な漢という文字は表さないのが普通である。ましてこの委 奴國王がこの印を用いるのは、漢の朝廷もしくは楽浪郡など漢の地方官に書簡を送 るばあいだけであろうから、どうもこの漢という字はよけいなもののように思える。 しかも委奴國王に場合は、自ら大夫と称する使者が、洛陽に赴いて光武帝に朝賀 した上で印綬を賜わったのであるから、そこに漢とあるのは、やはりおかしいと思わ れる。
次に委という字が倭を意味するならば、なぜ人偏をはぶいて委としたかの疑問があ るが、これは日本でも古代にみずから大委国と書いたことがあるから問題にしないで もよい。むしろ問題は國という字で、国王というよび方は後世になって普遍化したとな え方で、漢代には、委奴王とよぶのが当然である。また金印は国王でおわっている が、漢代の印の制度では、この下に章とか印とかの字が加わるはずである。これは 印をうけたものの階級によって、最高のものは璽、次が章、次が印である。委奴國王 は王といっても国王の印とは違うから、璽は許されなかったであろうが、章とか印とか 言葉が必要で、最近も中国雲南省内で「滇王之印」が発見されたという。 どうもこの金印は漢代印章の規格に合わないのである。そんなら委奴國王が勝手 にみずから作った私印であろうか。すると、いったい彼はこの印を誰のところへやる書 簡の封泥に用いたのだろうか。べつに大倭王がどこかにおって、そこへ奴国王が書簡をやるときにこの印をおし自分は漢からこのような印をもらっているぞ、というつもり だろうか。これに類したことは、匈奴単于とその配下の諸王、つまり漢の陪臣とのあい だに行われていたらしいが、どうも日本のばあいにはあてはまりそうにない。要する に、この金印はわけのわからないものであって、『後漢書』の記事をさらによく理解す る役にはたちそうにもない。」
槖駝*(たくだ) 駱駝(ラクダ)の異名。
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偽造品だった!