2021年07月16日

結婚式で校歌

「交差点で石蹴り」 群ようこ 新潮文庫 平成十年

校歌 p181〜

 「このごろは友だちがみんな中年になったものだから、結婚式に呼ばれることもなくなったが、かつて結婚式に出席したとき、不思議に感じていたことがある。新郎の友人が余興として、出身校の校歌を歌う場合があるのだが、その校歌を歌う人々の出身校が、間違いなく偏差値が高いといわれている大学だったからだ。

 高卒の新郎の場合、あるいは大卒でもそれほど有名でない学校の場合は、校歌は歌われなかった。合格したと話を聞いて、「まあ、たいしたもんだわね」といわれるような学校を卒業した男性たちのみ、得意気に校歌を歌うでのあった。
 私は社会人になったら、どこの学校を出たとか、どれだけ学校で成績がよかったなど、全く関係ないと思っている。それが証拠に、有名な大学を出ていてお勉強はできるけれど、とんでもなくアホな人を山ほど見ているからである。

 それが社会人になって、何年もたっているというのに、結婚式の披露宴で学校の校歌を歌うなんて、どうかしているのではないかと、いつも思っていたのだ。彼らは偏差値の高い大学を出て、自慢なのだろう。しかし、その反面、社会人になってもまだ、学校をひきずっているなんて、そんなに今やっている社会人としての自分の仕事に、自信がないんだろうかと勘繰りたくもなる。そういうことは恥ずかしいと、わからないのかなあと、私は胸を張って歌われる校歌の合唱を、うんざりしながら聞いていたのである。

 私が書く仕事をはじめたころ、取材の仕事があって、初対面の年下の男性編集者と組んだ。たまたまそのときは、いつもの連載の担当者が海外出張で同行できなかったため、ピンチヒッターとして登場したのだ。彼は会うなり、私の出身校を聞いた。そして、自分の出身校や、自分の妹の出身校、家の建坪などをとくとくと話しはじめた。
「兄妹揃って優秀なのねえ」私は嫌味をいったつもりだったのに、本人は全く気がつかず、「へへへ」と頭をかいて喜んでいたのだった。

 連載の担当者との話し合いでは、三日間に分けて取材するスケジュールだったのだが、彼に、「あんたのために、三日も取材につきあえないんですよね」といわれ、私は朝の五時から十一時すぎまで、ぶっ通しで取材することになった。そんなに彼が仕事で忙しいのかと思ったら、彼は母校の早慶戦を見にいくために、私にそういったのが、後日、判明したのである。彼はにこにこしながら、「いつも早慶戦のときは、女の子たちがお弁当を作ってきてくれるんです」と、取材のときも心ここにあらずといった感じであった。
 私はこのことで、偏差値と仕事の能力、賢さは正比例しないということを、あらためて確認した。」

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posted by Fukutake at 15:32| 日記