「東の国から(下)」−新しい日本における幻想と研究− ラフカディオ・ヘルン
平井呈一訳 岩波文庫
柔術 より p37〜
「いったい、柔術というものは、これは、むかしのサムライが、えものを持たずに相手と戦った術なのである。柔術について何も知らない門外漢が見たら、ちょっとレスリングみたいに見える。かりに諸君が、「瑞邦館」に稽古がはじまっているときに、ひょっくりそこへはいって行ったとする。諸君はそこに、一団の生徒がぐるっとまわりを取り巻いたそのまん中のところで、十人か二十人ぐらいの、からだのしなやかな若い生徒たちが、素足素手で、おたがいに組んずほぐれつしながら、畳の上で相手を投げたおしている光景を見られるだろう。そのとき、かならず諸君が奇妙におもわれることは、室内が死んだように、声ひとつしないことだろう。ひとことも物を喋っているものがない。もちろん、やんやと囃したてたり、興にのったり、そんなそぶりをするものは、けぶりにもいない。にやにや笑っているものさえいないのである。絶対の平静自若、−−これが柔術道場の鉄則で、厳格に規則できめられていることなのである。それにしても、部屋ぜんたいのこの平静さ、そして、これだけの人数のものが、みな息を呑んでしーんと静まりかえっている光景、これはとにかく、諸君に偉観だという印象をあたえることは請合いである。
西洋のレスリングをやる本職の力士が見たら、まだほかに、いろいろ目につくこともあるだろうと思う。たとえば、この若い連中が、自分の力を出すのに、ひじょうに慎重であるということや、それから、掴んだり、おさえたり、投げたりするそのわざが、いっぷう変わった、きわどい技であることなどに、気がつくにちがいない。その慎重さは、ひじょうに修練をつんだ上での慎重さなのだが、総体からみると、ずいぶん危険の多い演武のように思われて。おそらく、西洋のレスリング士がこれを見たら、なんとかもっと、西洋流の「科学的」なルールを採り入れたらどうなんだと、ちょっとおせっかいを入れたくなるにちがいない。
もっとも、稽古ではなく、真剣の勝負となると、このわざは、西洋のレスリング士がただちょっと見たぐらいで、ははあと当推量をする以上に、じっさいは、ずいぶんと危険の多い技なのである。道場にひかえている師範格の人などは、ちょっと見はいかにも痩躯軽身にみえるけれども、どうしてどうして、普通のレスリング士なんぞだったら、まず二分間で片輪にされてしまうだろう。柔術は、けっして見せるためのわざでもないし見物人にわざを見せるための修練でもないのである。それは、もっとも厳密な意味における自衛術であり、戦術なのだ。その道の達人ともいわれる人になると、相手が術を知らないやつだったら、それこそ、あっというまに、相手の戦闘力を完全にうばってしまうだけの腕前をもっている。かくべつこれという力をつかわずに、なにかおそろしい早業で、いきなり相手の肩を脱臼させ、関節をはずし、腱を切り、骨なんか折っぺしょってしまう。こういう人になると、これはもう、ただのスポーツマンとか、力持ちなんていう段ではない。一個の解剖学者でもあるのである。またそういう達人になると、電撃的早業でもって、相手をひとおもいにパッと殺してしまう急所もこころえている。もっとも、この命とりの秘術は、それをみだりに用いることがほとんどできないような条件がそなわっているばあいでなければ、けっして人には伝授しないという、固い誓約が誓わされてある。完全な自制心をもっている人で、ふだんから身持ちのうえでも、とかくの難がない人だけに授けされるというのが、むかしからの厳としたしきたりになっているのである。」
----
(八雲の赴任した熊本第五高等学校の校長は、嘉納治五郎であった。)旧漢字を当用漢字に直しました。