「人生の短さについて」 セネカ著 茂手木元蔵訳 岩波文庫
p9〜
「大部分の人間たちは死すべき身でありながら、自然の意地悪さを嘆いている。その理由は、われわれが短い一生に生まれついているうえ、われわれに与えられたこの短い期間でさえも速やかに急いで走り去ってしまうから、ごく僅かな人を除いて他の人々は、人生の用意がなされたとたんに人生に見放されてしまう。というのである。このような、彼らのいわゆる万人に共通な災いに嘆息するのは、単に一般の大衆や無知な群衆だけのことではない。著名な人々さえも、このような気持が嘆きを呼び起こしている。それゆえにこそ、医家の中でも偉大な医家の発言がある。いわく「生は短く術は長し」と。…しかし、われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩や怠惰のなかに消えてなくなるとか、どんな善いことのためにも使われないならば、結局最後になって否応なしに気付かされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費しているのである。…
何ゆえにわれわれは自然に対して不平を言うのか。人生は使い方を知れば長い。だが、世の中は飽くことの知らない貪欲に捕らわれている者もいれば、無駄な苦労をしながら厄介な骨折り仕事に捕らわれている者もある。酒びたりになっている者もあれば、怠けぼけしている者もある。他人の意見に絶えず左右される野心に引きずられて、疲れ果てている者もあれば、商売でしゃにむに儲けたい一心から、国という国、海という海に到るところを利欲の夢に駆り立てられている者もある。絶えず他人に危険を加えることに没頭するか、あるいは自分に危険の加えられることを心配しながら戦争熱に浮かされている者もある。また有難いとも思われれずに高位の者におもねって、自ら屈従に甘んじながら身をすり減らしている者もある。多くの者たちは他人の運命のために努力するか、あるいは自分の運命を嘆くかに関心をもっている。また大多数の者たちは確乎とした目的を追求することもなく、気まぐれで移り気で飽きっぽく軽率に次から次へと新しい計画に飛び込んでいく。或る者は自己の進路を定めることなどには何の興味もなく、怠けたり欠伸をしたりしているうちに運の尽きということになる。…」
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耳が痛い。