2021年06月27日

身の将来を知るのは不幸

「明治の話題」 柴田宵曲 ちくま学芸文庫 2006年

占ひ p199〜

「小泉八雲は出雲で年取つた占師と知合ひになつた。その後大阪でも遇 ひ、京都でも遇ひ、神戸でも遇つた。武士の没落によつて占師になつたその 老人は、常に旅から旅へ歩いたらしい。八雲はこの人に四度占つて貰つた が、非常によく当つたので恐ろしくなつたと云つてゐる。老人の説によると、 易学そのものはそれに通じた大家の手にかかれば決して間違ひはない、自 分も幾つか誤つた占ひをやつてゐるが、それは或文句や卦(け)の解釈を間 違つた為であるといふのである。 八雲の「霊の日本」はこの老人の占ひに就いて、「私共の未来を見る事ので きるのは不幸である」と云つてゐる。
... 森鴎外が晩年に人から医者にかかることを勧説された時、支那の神卜の 話など引いて、もし自分の死が予知されたところで、結局それが何の役にも 立たぬ、前知せず死ぬのと同一である、仮に名医の診断は間違はぬとして も、それで病人の精神状態がよくなるか悪くなるか、我内部に故障があつて その作用の進む速度を知つたならば、これを知らぬと同様に平気では居ら れぬ、断然名医に見て貰ひたくないと云う結論が生ずる、と云つて謝絶し た。未来を見得るのは不幸であるといふことは八雲と変りがない。... 漱石は学校を出た当時、小石川の或寺に下宿をしてゐた。この寺の和尚 が内職に身の上判断をするといふのは、「琴のそら音」と同じであるが、漱石 が或時笑談半分に自分の未来を和尚に尋ねると、大して悪い事もありませ んなと概説を与えた後、親の死目に逢へぬとか、西へ西へと行く相があると か、いろいろ未来の運命を暗示した。... 和尚の予言通り、漱石は父母の死目に逢へなかつた。先づ松山に行き、 次いで熊本に行き、更にロンドンまで行つたのは、西へ西へであつたに相違 ない。... 「彼岸過迄」に現れた占ひは、大学卒業後、就職運動に奔走してゐる主人 公が、それほど突き詰めた気持でもなしに見て貰ふのだから、頗る軽快なも のであるが、占ひそのものに費された分量はこれが一番多い。純然たる家 庭的な女が、九枚の文銭によつて運命を卜するのは甚だ特色がある。婆さ んの言葉は漠然として捕捉しにくいものであつたが、一転して「貴方は自分 の様な又他人(ひと)の様な、長い様な又短い様な、出る様な又這入る様な ものを持つていらつしやるから、今度事件が起つたら第一にそれを忘れない やうにしなさい」といふ注意を与へた。結局この禅坊主の寝言に似た言葉を 解釈して、それに該当すると思はれるステツキを突いて出ることが、主人公
の運命を拓く鍵になると同時に、「彼岸過迄」前半の一つの山になつてゐ る。」

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posted by Fukutake at 08:21| 日記