2021年06月26日

未来ではなく、眼前を見る

「アランの幸福論」 アラン 

 ディスカヴァー・トウェンティーワン 2007年

 「72 未来を考えず、目の前のことだけを見る
 ほかの人はどうだか知らないが、わたしは、未来のことは考えず、ただ目の前のあることだけを考えるほうが好きである。占い師に手相を見てもらいに行くつもりもなければ、ものごとの本質を見抜こうとして未来を予測しようとも思わない。
 なぜかというと、人間の知識がどれほどすばらしいとしても、人間はそれほど先まで見通せるとは思わないからである。だれにとっても、その身に起こる大事なことはなんでもあれ予期せぬことであり、予測不可能なのだ。」

 「80 まず行動する
 だれが選択したというのか。ありえない。選択をした人などだれもいない。
誰でもみんなはじめは子どもだったのだから。だれも選択はせず、その前にただ行動してきたのである。
 いってみれば自分の経歴とは、自然の力と環境の産物だ。じっくり考えたところでいつまでたっても決められないのは、そうした理由からなのである。」

 「122 ほほえんでみせる
 「やれやれ、また雨だ!」と言ったってなんの役に立つというのだろう。そんなことは雨にも雲にも風にもなんの影響も与えない。どうせなら「やあ、ちょうどいいお湿りだ!」となぜ言わないのか。それで気分もよくなるし、体全体がしゃきっとして、実際にあたたまってくる。喜びのちょっとしたしぐさの効果とはそういうものである。
人の場合も雨と同じこと。そんな簡単なことではないと言うだろうが、簡単かんたん、雨よりずっと簡単である。ほほえんでも雨にはなんの効き目もないが、人に対してはかなりの効果があるのだから。
 ほほえんでみせるだけで、相手の悲しみや退屈は、もう軽くなっているのだ。」

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悪態よりは我慢、我慢よりは容認、容認よりは積極評価。評価よりも感謝。
posted by Fukutake at 05:59| 日記