「プラトン全集15」岩波書店
「正しさについて」より抜粋 p38〜
「…ソクラテス 「正しいもの」と「不正なもの」は、どんな道具を用いて調べるなら、われわれははっきり識別するだろうか。また、道具とともに、それより前にどんな技術によってかね。これでも、まだ君は明らかではないかね。
友 明らかではありません。
ソクラテス それでは、もう一度、こういうふうに考えてみたまえ。われわれが、大きいものと小さいものにつて意見が分かれる場合、われわれに裁定を下すのは誰かね。測量家ではないかね。
友 そうです。
ソクラテス それでは、正不正についてはどうかね。答えたまえ。
友 わかりません。
ソクラテス 「言論を用いて」と言いたまえ。
友 はい。
ソクラテス してみると、裁判官が正不正について判定する場合に、われわれに裁定を下すのは言論を用いてだね。
友 そうです。
ソクラテス そして、また、たった今われわれが同意したように、裁判官が「正しいもの」と「不正なもの」についてわれわれに判定を下すのは言論を用いることによってである。言論は、それによってこれらのものが判定されるものだったね。
友 見事なおっしゃりようです。ソクラテス。
ソクラテス ではそれは、「正しいもの」と「不正なもの」がいったい何であるかなのか。たとえば、誰かがわれわれに次のように尋ねた場合には、すなわち、ものさしや測量術や測量家は大きいものと小さいものを裁定するのだから、それはその大きいものと小さいものが何であってのことか、と誰に尋ねた場合には、われわれは彼に、より大きいものというのは超過したものであり、より小さいものとは超過されたものだからだ、と言うだろう。…これとちょうど同じように、もし言論や裁判所や裁判官は正しいものと不正なものをわれわれのために裁定してくれるのだから、それはその「正しいもの」と「不正なもの」がいったい何であるからなのか、とひとがわれわれに尋ねたならば、われわれはその人に何と答えることができるだろうか。それとも、われわれはこれでもまだ答えることができないだろうか。
友 ええ、できません。
…
ソクラテス さあ、では、正しいのはどちらだと思う? 偽りを言うことかね、それとも真実を言うことかね。
友 むろん、真実を言うことです。
ソクラテス すると、偽りを言うことは不正だね。また、正しいのは欺くことかね、それとも欺かないことかね。
友 むろん、欺かないことです。
ソクラテス すると、欺くことは不正だね。では、はたして、敵に対しても同様だろうか。
友 決してそうではありません。
ソクラテス ではまた、たとえ欺いても、敵を害することは正しいことではないかね。
友 まったくそうです。
ソクラテス では、われわれが彼ら(敵)を欺いて害をあたえるために、偽りを言うことはどうかね、これも正しいことではないかね。
友 そうです。
ソクラテス しかしそうすると、欺いて益することは正しいが、偽りを言って益することはそうではないのか、それとも偽りを言ってもやはり正しいのだろうか。
友 偽りを言っても正しいです。
ソクラテス すると、どうやら、偽りを言うことと真実を言うことは、正しいことでもあり、不正なことでもあるらしい。
友 ええ。
ソクラテス すると、どうやら、これらすべてのことはみな同じで、正しいことでもあり、かつ不正なことでもあるらしい。
友 私にはたしかに、そう思われます。
ソクラテス では、同じものに対して一方は正しいことであり、他方は不正なことであると言うのだから、君は、どちらが正しく、どちらが不正であるか言うことができるかね。
友 それなら、私の考えでは、それらのことのひとつひとつが、しかるべき、時宜にかなったときに為されるならばそれが正しく、他方、しかるべきときに為されるならば不正です。…
ソクラテス すると、また、偽りを言い、欺き、益することも、知っている人は、しかるべき、時宜になかったときに、それらいちいちのことを為すことができるが、知らない人はできないのではないか。
友 おっしゃるとおりです。
ソクラテス したがって正しい人は、知識によって正しくあるのである。
友 そうです。
ソクラテス では、不正な人が不正なのは、正しい人がそうであるのとは反対のものによるのではないかね。
友 そのようにみえます。
ソクラテス そうすると、不正な人は無知によって不正なのだ。
友 そのようです。
ソクラテス ところで、人間が無知であるのは故意に(すき好んで)かね、それとも、不本意ながら(心ならずも)かね。
友 不本意ながらです。
ソクラテス すると、不正であるのもまた不本意ながらではないか。
友 そのようにみえます。
ソクラテス してみると、不本意ながら(意に反して)あることのためなのだね。
友 まったくそうです。
ソクラテス しかし、決して、不本意ながらあることからは故意に(意識的に)することは生じないのではないか。
友 ええ、決して生ずることはありません。
ソクラテス ところが、不正であることから不正行為は生ずるのだ。
友 そうです。
ソクラテス しかるに、不正であることは不本意なことである。
友 不本意なことです。
ソクラテス したがって、そういう人たちが不正を為し、不正な人間であり、邪悪であるのは、不本意ながらなのだ。」
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『法律』では、不正なる者は邪悪であるが、邪悪な人は不本意ながら悪くあると言われている。