「本居宣長 下」 小林秀雄 新潮文庫 平成四年
神話の言霊(コトダマ)とプラトンの文章の表現力 p265〜
「(プラトンの対話篇「パイドロス」での)ソクラテスの相手のパイドロスは、民主制下 にあった当時のアテナイの一般的知識人の風として、議会や法廷の演説を通じて発 達した弁論術雄弁術(レトリック)というものを重んじていた。だが、どんな雄弁家も、 聴衆の思惑に無智でいては、その説得など思いも寄るまい。それなら、相手の思わく に通じて、これに上手におもねれば、説得など訳もないとも言えるわけで、上手に人 を説得するのと物事を正しく考えるのとは、ひどく違った事だ。ソクラテスは、説得と思 惟とを、根本的に異なった心の働きするまで、考えを進めるのである。しかし、国政を 論じ、世論を動かし、成功の道を人々に開いて見せている雄弁術に慣れた人々に は、ソクラテスの洞察は、容易には目に這入らない。そこで、雄弁術を高く評価してい るパイドロスの誤りが、ソクラテスによって、次々に論破されるように、「パイドロス」の 対話は進行することになるのだが、もっとよく見てみよう。この「対話」で、ソクラテス は、決して相手を説得しようとはしていないし、第一、相手の思わくなど眼中にないの である 先きに、対話の形式を決定的に取って完成したプラトンの文学的表現の魅力を言っ たが、「パイドロス」という思想劇、こん場合、登場人物は二人だけだが、プラトンの全 対話篇を、自立した思想劇と観じ、そのどういう所が、読者の心を捕えて離さないの か、その魅力を分析的に吟味してみるがいい。それは、作者プラトンから、劇の主役 を振られたソクラテスという人間、その考え方、生き方に行き着くと感ぜざるを得ま い。
繰り返して言おう。どんな主義主張にも捕われず、ひたすら正しく考えようとしてい るこの人間には、他人の思わくなど気にしている科白は一つもないのだ。彼の表現 は、驚くほどの率直と無私とに貫かれ、其処に躍動するリズムが生まれ、それが劇全 体の運動を領している。どの登場人物も、皆、何時の間にか、このリズムの発生源に 引き寄せられている。言い代えれば、プラトンの思想劇は、ソクラテスとの問答という 単位から構成されているが、この単位も、考え詰めて行けば、その極限で、ソクラテス 自身の自問自答という純粋な形を取るようになるところに、劇の生命力がある。そう 見ていいと思う。対話篇の真実さなり、力強さなりに引かれる読者は、知らずして、こ の生命力に倣う、そう考えるより他はないだろう。...
プラトンの対話篇を通じて扱われている真の主題は、正しく思索する力というもの、 正しく語る力以外のものではないと極言して差支えない。劇の主役としてのソクラテス に即して言えば、対話篇の進行とは、人と人との間の対話に喜びを生み出し、これを 生かしているもの、言わば対話の魂と呼ぶべきものにめぐり会い、これを信じ、その 自然な動きに随えば足りるとした、そういう風に言ってもいいと思われる。」
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正しく語る。