2021年06月21日

たましひを持つ生きている言葉

「本居宣長 下」 小林秀雄 新潮文庫 平成四年

文字なき世 p208〜

「宣長は「古語拾遺」を重んじていた。その序に、「上古之世、未有文字、貴賎老少、 口口相伝、前言往行、存而不忘」とある。今の世で、物識りと言われるほどの人なら、 知らぬものはない言葉だが、いつの間にか、それほど名高い言葉となったという事 は、宣長に言わせれば、この上古の人々の間に、生きて働いていた口口相伝の言 が、文字に預けられて以来、固定した智識となって、死んで了ったことを語ってもいる のである。教養とか知能とかいうものを測る標準が、基本的には、読み書きが出来る 出来ないで定まって了い、誰もこれを疑わない世となっては、そのような事を気に掛 ける人もいない。

文字の出現以前、何時からとも知れぬ昔から、人間の心の歴史は、ただ言伝えだ けで、支障なく続けられていたのは何故か。言葉といえば、話し言葉があれば足りた からだ。意味内容で、はち切れんばかりになっている。己の肉声の充実感が、世人め いめいの心の生活を貫いていれば、人々と共にする生活の秩序保持の肝腎に、事を 欠かぬ、事を欠く道理がなかったからだ。そういう、個人の言語経験の広大深刻な味 いを想い描き、宣長は、はっきりと、これに驚嘆する事が出来た。「書契以来、不好談 古」と言った斎部宿禰(いんべのすくね)の古い嘆きを、今日、新しく考え直す要があ る事を、宣長ほどよく知っていたものはいなかったのである。

先きに、宣長が歩いた「古事記」注解という「廻り道」について述べたが、彼が、非常 な忍耐で、ひたすら接触をつづけた「皇国(ミクニ)の古言」とは、注解の初めにあるよ うに、「ただに其ノ事のあるかたちのままに、やすく云初名(イヒソメナ)づけ初(ソメ)た ることにして、さらに深き理などを思ひて言へる物には非れば」、ー という、そういう 言葉であった。未だ文字がなく、ただ発音に頼っていた世の言語の機能が、今日考え られぬほど優性だった傾向を、ここで、彼は言っているのである。宣長は、言霊という 言葉を持ち出した時、それは、人々の肉声に乗って幸わったという事を、誰よりも、深 く見ていた。言語には、言語に固有な霊があって、それが、言語に不思議な働きをさ せる、という発想は、言伝えを事とした、上古の人々の間に生れた、という事、言葉の 意味が、これを発音する人の、肉声のニュアンスと合体して働いている、という事、そ のあるがままの姿を、そのまま素直に受け納れて、何ら支障もなく暮らしていたとい う、全く簡明な事実に、改めて、注意を促したのだ。情(ココロ)の動きに直結する肉声 の持つニュアンスは、極めて微妙なもので、話す当人の手にも負えぬ、少なくとも思 い通りにはならぬものであり、それが、語られる言葉の意味に他ならないなら、言葉と いう物を、そのような、「たましひ」を持って生きている生き物と観ずるのは、まことに 自然な事だったのである。」

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posted by Fukutake at 07:55| 日記