2021年06月20日

太秦の仏像たち

「井伏鱒二全集 第十一巻」 筑摩書房 昭和四十年

京都 p95〜

 「…私が中學を出たのは三十何年前である。その年の秋、私は早稲田に入學して、それから三年目か四年目の春、そのころ京都の學校にゐた友人の下宿に行つた。そのときは、べつだん美術商のうちを見たいとも思わなかつたが、私は友人に連れられて飲屋に行く途中、偶然その店の前を通つた。また日が暮れて間もないのに戸は閉じてゐた。その夜、私の友人飲屋で、太秦の或る寺の若い坊さんを私に紹介した。中學生の服をきた若い坊さんで、不斷この飲屋で私の友人とよく顔を合せて親しくしてゐるさうであつた。前々からの約束と見え、私の友人が「明日、あんたのところのお寺、見物させてくれないか。この友達と一緒に行くからね」と云ふと、中學生の坊さんはすぐに承知した。その太秦の寺は由緒ふかいのである。佛像も大したものが納つてゐる。

 翌日、私の友人は學生服や角帽にブラシをかけた。靴も磨いた。私は、よれよれの袴をはいてゐたが。下駄は新しいのをはいて友人に連れて行つてもらつた。中學生の坊さんは、先ず境内の古めかしい井戸を私たちに見せ、次に金堂の軒の反り工合について説明し、その堂内の佛像を見せてくれた。何體もの金銅佛の手の指が私には印象的であつた。中學生の坊さんは、聖徳太子の像の前に私たちを連れて行き。自分でも惚れ惚れとそれを見ながら特徴を説明した。この見物がすむと、修繕して間もない六角堂のなかに連れて行つてくれた。左手の隅に、二た抱へもあるやうな木彫の佛様の頭があつた。「樓門の天井に抛り込んであつたんです」と中學生が説明した。正面右手に一寸二三分ぐらゐの高さの佛像が、段々に何十體となく並べてあつた。「これは昔の人が、一刀三禮して、刻んだ尊い像です」と中學生が云つた。その佛像は均等な間隔で並んでゐたが、五六箇所か六七箇所、ところどころ齒が抜けたやうに隙間が出来てゐた。

「あれは、どうしたのだらう」と私の友人がきくと、中學生は、「膠がとれてゐます」と云つて、ためしに一つの像を持ち上げて見せた。佛像の足の裏に膠がとれてゐて、䑓の上に危なく立つてゐるだけなのが知れた。「それで、齒が抜けたやうにたつてゐるのは、修繕に出したんですか」と友人が聞くと、中學生はいまいましさうに、「いえ、ここの齒が抜けたところは何々博士が持つていらしゃいました。ここのは、何々さんがお持ちになりました…」といちいち齒抜けの由来を説明した。「では、我々も持つて行つていいのかね」と友人が云ふと、中學生は「それは公徳心の問題です」と云つた。…」
(昭和二十七年十一月執筆)


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井伏鱒二の名文、何気ない文章でも読ませる。
posted by Fukutake at 07:20| 日記