「私の夢まで、会いに来てくれた ー 3.11亡き人とのそれから ー」 東北学院大学 震災記憶プロジェクト 金菱清(ゼミナール)編 朝日文庫 2021年
p212〜
「語り手 亀井繁さん (亘理ぐん山元町に暮らす亀井繁さん(46歳)は、妻の宏美さん(当時39歳)と次女 の陽愛(ひなり)ちゃん(当時1歳10ヶ月)を津波で亡くした。
「...(繁さんは)二〇一七年五月三十日に、陽愛ちゃんの夢を見た。この日は陽愛 ちゃんが生きていれば八歳になる誕生日だった。 場所は、かつての自宅の風呂場。陽愛ちゃんは前日、熱を出したのだが、今日は熱 も下がり、パパと一緒に風呂に入れるようだ。 繁さんは陽愛ちゃんをたっぷり石鹸の泡で、体が見えなくくらい包み込むようにして 洗ってあげた。石鹸の香りこそ感じなかったが、陽愛ちゃんの腕の太さや肌の感触は あのころと変わらず、柔らかく温かかった。陽愛ちゃんはにこにこと笑っていた。 「夢の中の陽愛は、何年たっても成長しません。おむつを替えている赤ちゃんのころ の姿だったり、亡くなる直前の姿で、あのころ、よくしてくれたように、私の唇にぶちゅ とキスしてくれたり。一番可愛くてたまらなかった時期の姿で出て来てくれるんです。 私も陽愛もお互いが大好きでした。夢に見るのは、その気持ちを伝え合うようなもの ばかりなんです」 繁さんが見る宏美さんと陽愛ちゃんの夢は、繁さんと何かしらの交流があることが 多い。それも、肌を触れ合わせる感覚を伴っている。 二〇一六年一月六日に見た夢もそうだった。 繁さんと宏美さんは指切りをしている。
「何もしてあげられないよ」
「でも、信頼している」
「急がないから」
「待ってる」
一言一言、確かめるように宏美さんは話した。 「指切りをした手の感覚は、起きてからも鮮明に覚えていました。夢を思い出しなら が、『あの世から簡単に助けることはできない。でも、信頼しているからね。こちらに来 るのを待っているけど、急がないからね。そっちの世界で修行しておいで』と妻から言 われたような気がしました」 それから1ヶ月半ほどたった二月二十二日、繁さんは夢の中の宏美さんに「笑顔で 目の前に来て」と言われた。微笑みながら近づくと、宏美さんはこう言った。 「どこにも行かないよ」 一月六日と二月二十二日に宏美さんが語りかけてくれた言葉は繁さんの宝物に なった。
「浩美はどこにも行かず、姿は見えないけれど、そばにいてずっと見守ってくれてい る。そのことをはっきりと感じた夢でした。夢なんて誰でも見るでしょ、とか、脳が見せ ているだけと言う人もいるけど、私にとっては単なる夢ではないんです。夢の二人は、 魂の姿。だから、夢を見ることは、私にとって生きる力。これからも、浩美と陽愛も一 緒に、家族として生き続けることなんです」
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生きる力
2021年06月17日
亡き人からのはげまし
posted by Fukutake at 09:58| 日記