「本居宣長(上)」 小林秀雄 新潮文庫
源氏物語 p214〜
「「源氏」は、(坪内)逍遥の言うように、写実派小説でもなければ、(正宗)白鳥の言 うように、欧州近代の小説に酷似してもいないが、そう見たい人にはそう見えるのを 如何ともし難い。鴎外によって早くも望まれた、現代語訳という「源氏」への架橋は、 今日では「源氏」に行く一番普通な往還となったが、通行者達は、街道が、写実小説 と考えられた「源氏」にしか通じていない事を、一向に気に掛けない。これは、わが国 の古典の現代語訳、西洋文学の邦訳の今日に於ける効用性とは、一応切離して考 えられる事であり。もし詞(ことば)より詞を現わす実物の方を重んずる、現実主義の 時代の底流の強さを考えに入れなければ、潤一郎や白鳥に起こった、一見反対だが 同じような事、つまり、どんな観点も設けず、ただ文芸作品を文芸作品として自由に味 わい、動かされていながら、その経験の語り口は、同じように孤独で、ちぐはぐである 所以が合点出来ない。私は、ここで、時の勢いをとやかく言っているのでもないし、自 分流の「源氏」論を語ろうとするのでもない。ただ、「源氏」の理解に関して、私達が今 日、半ば無意識のうちに追込まれている位置を意識してみる事は、宣長の仕事を理 解する上で、どうしても必要だと思っているだけなのだ。
専門化し進歩した「源氏」研究から、私など多くの教示を得ているのだが、やはり其 処(そこ)には、詞花を翫(もてあそ)ぶというより、むしろ詞花と戦うとでも言うべき孤 独な図が、形成されている事を思わざるを得ない。研究者達は、作品感受の門を、素 早く潜って了えば、作品理解の為の、歴史学的社会学的心理学的等々の、しこたま 抱え込んだ補助概念の整理と言う別の出口から出て行って了う。それを思って見る と、言ってみれば詞花を翫ぶ感性の門から入り、知性の限りを尽して、又同じ門から 出て来る宣長の姿が、おのずから浮かび上って来る。出て来た時の彼の自信に満ち た感慨が、「物語といふもののおもむきをばたづね」て、「物のあはれといふことに、心 つきたる人のなきは、いかにぞや」(「玉のをぐし」一の巻)という言葉となる。 「源氏ヲ一部ヨクヨミ心得タラバ、アツパレ倭文ハカカルル也。シカルニ今ノ人、源氏 見ル人ハ多ケレド、ソノ詞一ツモ我物ニナラズ、(中略)源氏ニカギラズ、スベテ歌書ヲ 見ルニ、ソノ詞一一、ワガモノニセント思ヒテ見ルベシ」。これは「あしわけ小船」の中 にあった文だが、早くから訓詁の仕事の上で、宣長が抱いていた基本的な考えであっ た。」
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