「小林秀雄全集 第八巻」− モオツァルト− 新潮社版 平成十三年
モオツァルト p60〜
「プロドンムが、モオツァルトに面識あつた人々の記録を澤山集めてゐるが、そのなかで、特に僕の注意をひいた話が二つある。義妹のゾフィイ・ハイベルはこんな事を言つてゐる。
「彼はいつも機嫌がよかつた。併し、一番上機嫌な時でも、心はまるで他處にあるといふ風であつた。仕事をしながら、全く他の事に氣を取られてゐるていで、刺す様な目付きでじつと眼を据えてゐながら、どんな事にも、詰まらぬ事にも面白い事にも、彼の口はきちんと應答するのである。朝、顔を洗つてゐる時でさへ、部屋に行つたり来たり、両足の踵
をコツコツぶつけてみたり、少しもじつとしてゐない、そしていつも何か考へてゐる。食卓につくと、ナプキンの端をつかみ、ギリギリ捻つて、鼻の下を行つたり来たりさせるのだが、考へ事をしてゐるから、當人は何をしてゐるか知らぬ様子だ。そんな事をしながら、さも人を馬鹿にした様な口付きをよくする。馬だとか玉突きだとか、何か新しい遊び事があれば、何にでも忽ち夢中になつた。細君は夫にいかがわしい附合いをさせまいとあらゆる手を盡すのであつた。彼はいつも手や足を動かしてゐた。いつも何かを、例へば帽子とかポケットとか時計の鎖だとか椅子だとかピアノの様に弄んでゐた。」
もう一つは、義兄のヨゼフ・ランゲの書いたもので、彼の繪についいては既に觸れたが、この素人畫家が、モオツァルトの肖像を描かうとした動機は、恐らくここにあつただろう。彼はかう言つてゐる。「この偉人の奇癖については、既に多くの事が書かれてゐるが、私はここで次の一事を思ひ出すだけで充分だとして置かう。彼はどう見ても大人物とは見えなかつたが、特に大事な仕事に没頭してゐる時の言行はひどいものであつた。あれやこれや前後もなく喋り散らすのみならず、この人の口からあきれる様なあらゆる種類の冗談を言ふ。思ひ切つてふざけた無作法な態度をする。自分の事はおろか、凡そ何にも考へてゐないといふ風に見えた。或は理由はわからぬが、さういふ軽薄な外見の裏に、わざと内心の苦痛を隠してゐるのかもしれない。或は又、その音楽の高貴な思想と日常生活の俗悪さとを亂暴に對照させて悦に入り、内心、一種のアイロニイを楽しんでゐたのかも知れぬ。私としては、かういふ卓絶した藝術家が、自分の藝術を崇めるあまり、自分といふ人間の方は取るに足らぬと見限つて、果てはまるで馬鹿者の様にして了ふ、さういふ事もあり得ぬ事ではあるまいと考へた」」
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