2021年05月26日

「本居宣長」

「本居宣長(上)」 小林秀雄 新潮文庫

p64〜

「今日、私達が、学問の方法と呼ぶものは、悟性の正しい使用法と言う考えを基本 としたものであり、従って方法の可否は、直ちに学問の成績を規定するが、宣長が、 「学びやうの法」という言葉を使う時、これは、ひどく異なった意味合いを帯びる。晩年 書かれた「うひ山ぶみ」は、彼の「学びやうの法」を説いたものだが、これを、彼の「学 問の方法論」と言って済ますことは出来ない。彼は、門人達の求めに応じて、「やむを えず」これを書いたのだが、このような仕事には、一向気が進まない、と初めにはっき り断っている。説き終わって、一首、「いかならむ うひ山ぶみの あさごろも 浅きす そ野の しるべばかりも」 ー 彼は、「学びやうの法を正す」という事について、深い 疑念を持っていた。法は一様であろうが、これに処する人の心は様々である。正しい 法を「さして教へんは、やすきことなれども、そのさして教へたるごとくにて、果たしてよ きものならんや、又思ひの外に、さてはあしき物ならんや、実ははしりがたきことなれ ば、これもしひて定めがたきわざにて、実は、ただ其人の心まかせにしてよき也」、そ ういう考えである。 そこで宣長ははっきりと断言出来るのは、「詮ずるところ、学問は、ただ年月長く、倦 まず、おこたらずして、はげみつとむるぞ肝要」ということだけになる。これさえ出来て いれば、「学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかかはるまじきこと也」。宣 長が、本当に言いたいことは、これだけなのである。しかし、そう言って了っては、「初 心の輩は、取りつきどころなくして、おのづから倦(ウミ)おこたるはしともなることなれ ば、やむことをえず」というわけで、話は又同じところにもどる。己の学問の成熟を確 信した大学者が、学問の方法について、何故これほど懐疑的なのか。これは、彼の 学問を、現代風に「もどく」ことを中止すれば、愚問に過ぎない。種は、既に「あしわけ をぶね」で繙かれている。彼は、それを育てただけである。
...
宣長の古典研究の眼目は、古歌古書を「我物」にする事、その為の「見やう、心の 用ひやう」にあった。「玉かつま」で、彼は、「考へ」とは、「むかえ」の意だと言ってい る。彼が使う「考へる」という言葉の意の極まるところ、対象は、おのずから「我物」と なる筈なのだ。契沖の「説ノ趣ニ本ヅキテ、考ヘミル時ハ」とは、古歌との、他人他物 を混えぬ、直かな交わりという、我が身の全的な経験が言いたいのだし、「歌ノ本意ア キラカニシテ、意味ノフカキ処マデ、心ニ徹底スル也」とは、この経験の深化は、相手 との共感に至る事が言いたいのである。ここに注目すれば、彼が「学びやうの法」を 説こうとして、気がすすまぬ理由も氷解するだろう。文献的事実とは人間の事だ。彼 が荷っている「意味ノフカキ処」を知るには、彼と親しく交わる他に道はない。これが、 宣長が契沖から得た学問の極意であった。」

---
大著「本居宣長」へ挑戦。
posted by Fukutake at 08:37| 日記