「外遊日記」三島由紀夫のエッセイ3 ちくま文庫 1995年
旅の絵本より p93〜
「ポートオ・プランス(ハイチの首都)
黒人共和国ハイチの首都ポートオ・プランスでは、私が去って間もなく、戒厳令がしかれたということを新聞で読んだ。アメリカ人がハイチをよろこぶのは、ニューヨークから数時間の飛行でアフリカのにおいをかげるためだという。事実ここにはアフリカ的なものが根強く残っており、ほんの少数の富裕なインテリの黒人は、そういう民衆から隔絶して、ラシイヌやモリエールを論じている。
山の中腹に市がたっていて、そこで売っているもののきたならしさにはびっくりした。牛だか、羊だかの腸を乾燥させたものや、干魚など、それにぎっしりハエがたかっている。ハエはまるでなくてはならない薬味のように、金カンに似たカシュウ・ナットにも小さな青い丸いレモンにも、パンにも、砂糖菓子にもたかっている。黒い豚や山羊がつながれ、ロバに乗ってくる女もある。
市中でタクシーに乗っていたとき、道の途中で手をあげた男が車を止めて勝手に私のとなりへすわり込み、勝手に行先を命じて、金も払わず下りてゆくのに私はあきれて、おこる気もしなかったが、運転手にいわすと、あれは移民官だから仕方がないというのであった。
海岸公園のココヤシの下を、カリブ海を見わたしながら歩む夕方の散歩も、しばしば追いかけてくるハダシの子の「ユー・アー・パンアメリカン? ギブ・ミー・マネー」という叫びにさまたげられた。」
(昭和三十三年一月二十一日・毎日新聞)
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