2021年05月11日

ただそれだけのことですか?

「現代語訳 論語」宮崎市定 岩波現代文庫

憲問第14 より p244〜

「(訓) 子曰く、賢者は世を辟く。其の次には地を辟く。其の次には色を辟く。其の次 には言を辟く。

(新訳)子曰く、(政治が乱れて危険な時には)賢者は世事から遠ざかって隠居する。 それでもまだ危険なら、違った場所へひっこしする。それでもまだ危険なら、人相の悪 い人間とつきあわない。それでもまだ危険なら、迂闊なことを言う人間と話さない。
普通に其次以下を、次賢者、次次賢者、次次次賢者と言う風に解釈するが、それで は最後の次次次賢者とはどの程度の人間か分からない。どうもこういう層序法はあま り例を見ない。こういう際には段階に応じて、別の形容詞を用いるか、少くも最後へ 行って、下なる者とか、愚者とかで結ばなければ、たれ流しになってしまう。更に色、 言の解釈も君主の顔色、君主の言語では、上とつながりが悪くて納得しがたい。其次 を、次の段階では、と副詞に読めば解釈がつきやすくなる。」

p248〜 「(訓)子路、君子を問う。子曰く、己を脩(おさ)むるに敬を以てす。曰く、斯の如きの みか。曰く、己を脩めて以て人を安んず。曰く斯の如きのみか。曰く、己を脩めて以て 百姓を安ずんぜん。己を脩めて以って安んずるは、尭舜も其れ猶をこれを病めり。

(新訳)子路が修養の目標たる君子の如何なるものかを尋ねた。子曰く、己を正しく 保って謹慎を失わぬ人だ、曰く、ただそれだけのことですか。曰く、己を正しく保てば、 自然に周囲の人たちの心を平和にすることができる。曰く、ただそれだけのことです か。曰く、己を正しくすれば、最後に天下の百姓の心まで平和にすることさえ可能では なかろうか。天下の百姓の心を平和にすることは、尭舜のような聖天子にとってさえ、 容易ならざる難事業であったのですぞ。
この条の終の方で、脩己以安百姓の句が二回繰返されるが、初の句は上を受け て、子路の質問に直接答え、次の句は自分の言った言葉に対する補足的説明のた めであって下へ続くから、両者の語気が全く違わなければならない。私の考えではこ う言う場合、初の句の終に何らかの助詞が必要だと考える。そして助詞を入れるなら ば焉が最も適当であろう。問い詰められて答える場合にはしばしばこの焉が用いられ る。」

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如斯而已乎 ただそれだけのことですか!?
posted by Fukutake at 11:26| 日記