2021年04月28日

文士の信念

「小林秀雄全集 第十一巻」− 近代繪畫 − 新潮社版 平成十三年

「栗の樹」 p36〜

 「文學で生計を立てるやうになつてから、二十數年になるが、文學について得心した事と言つたら何であらうか。それが、いかなる辛い不快な仕事であり、青年期には、その辛い不快な事をやつてゐるのが、自慢の種にもなつてゐたから、よかつた様なものの、自慢の種などといふろくでもない意識が消滅すれば、後はもう勞働だ。得心盡くの勞働には違ひないが、時々、自分の血を賣るやうななりはひが、つくづくいやになる事がある。

 私の親しい友達の中には、新聞の連載を二つも書き、その上、週刊誌や月刊誌、その臨時増刊誌と執筆の手をひろげてゐる重勞働者が幾人もゐる。何も好きこのんで多忙になつてゐるわけではないのだがら、さぞ辛い事だらうと思つてゐる。現代に生まれて文學をやるとは、辛い不快な事であり、その原因は、私達が傳承した西洋近代文學の毒の中に深く隱れてゐる。そんなのろはれた意識は、彼等には興味がないだらう。併し、自分で勝手に作り上げる辛さが、世間に強ひられる辛さより、ほんの少しでも増しなのか。今日では、私は、少しの皮肉も交へず言ふ事が出来る。彼等は、世間の御機嫌を取つてゐる。私は自分の御機嫌を取つてゐる。何の違ひもありはしない。この考へは、私としては、割合に新しい考へで、今後、追求してみる興味を持つ。

 私の家内は、文學について、文學的な興味など示した事がない。用事のない時の暇つぶしに、たまたま手許にある小説類を、選擇なく讀んでゐるが、先日、藤村の「家」を讀み、非常な感動を受けた。だが、これも、彼女は信州生まれで、信州の思ひ出が油然と胸にわいたがためである。彼女は、毎日、人通りまれな一里餘りの道を歩いて、小學校に通つてゐた。その途中に、栗の大木があつて、そこまで来ると、あと半分といつも思つた。それがやたら見たくなつたのだが、まさかそんな話も切り出せず、長い事ためらつてゐたが、我慢が出来ず、その理由を語つた。私が即座に贊成すると、親類へ手土産などしこたま買ひ込み大喜びで出掛けた。數日後還つて来て「やつはり、ちやんと生えてゐた」と上機嫌であつた。さて、私の栗の樹は何處にあるのか。

(「朝日新聞」、昭和二十九年十一月)

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posted by Fukutake at 11:09| 日記