2021年04月22日

江戸の相撲取り

「相撲の話」鳶魚江戸文庫4より 三田村鳶魚 著 
 朝倉治彦 編 中公文庫 1996年

「相撲取りの生活」山本博文 p239〜

 「江戸時代の一流の相撲取りは、諸藩のお抱えの相撲取りであった。
 力自慢の若者たちは、江戸や大坂へ出て相撲年寄に弟子入りし、それぞれの部屋に所属する。そこで修行を積み、興行相撲でよい成績を取っていれば、諸藩に「お出入り」となる。諸藩の屋敷へ出入りし、化粧まわしを賜り、番付で藩名を頭書することが許されるのである。そして、幕内になる頃には、諸藩のお抱えとなり、給金を支給される。
 実際、幕内の力士はほとんどいずれかの藩のお抱えであり、勧進大相撲興行の時は、勧進元が各藩に、お抱え力士の拝借を願って出場させていた。

 有望な力士となると、抱えを希望する藩の間で争奪戦が起こるなど、諸藩とも強い力士を欲しがっていた。大名にとって有力力士を持つことはその藩の名声につながり、参勤交代で国元などに連れて帰れば、領民に対して藩主の権威を高めることもできた。

 多くの力士にとって、大相撲が仕事のすべてではない。江戸・大坂・京都の相撲集団を構成する年寄(師匠)に率いられた相撲小集団(現在の部屋にあたる)は、大相撲興行以外の時期には寺社の相撲奉納に招かれたり、地方巡業を行うなどの活動をしていた。これが一般の力士たちの収入の元であった。祭礼の相撲に三人の力士を派遣した場合、礼金は四両三分だったという。…

 これらのお抱え力士たちは、引退すると多くは抱えを説かれて相撲年寄専業となり、弟子の養成などにあたる。まれには藩の抱え力士を統括する相撲年寄になることもある。どちらにせよ、一流力士は、引退後の生活の心配はあまりなかった。

 しかし。むかし甲子園を沸かせた高校生投手とか、一流半クラスの元プロ野球選手、はたまた元プロボクサーが、現役引退後しばらくして、新聞の片隅に犯罪者として登場することは、しばしば目にするところである。日本の国技である相撲の世界においても、例外ではない。年寄株を担保に莫大な借金をし、相撲界を追放されてプロレスラーになっている元横綱もいる。

 その地位につては現在の相撲と比べるべくもないが、江戸時代の相撲取り、つまり職業スポーツ選手も、現役時代はそれなりに華やかであるが、一流半どころの相撲取りは、現役引退後、生活に苦労していることが多い。…」


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何商売も甘くはないのう。

posted by Fukutake at 08:25| 日記