「漱石書簡集」 三好行雄編 岩波文庫 1990年
(1906(明治39年)鈴木三重吉あて) p182〜
「ただ一つ君に教訓したき事がある。これは僕から教えてもらって決して損のない事である。
僕は小供のうちから青年になるまで世の中は結構なものと思っていた。旨いものが食えると思っていた。綺麗な着物が着られると思っていた。詩的に生活が出来てうつくしい細君がもてて、うつくしい家庭が出来ると思っていた。
もし出来なければどうかして得たいと思っていた。換言すればこれらの反対を出来るだけ避けようとしていた。然るところ世の中にいるうちはどこをどう避けてもそんなところはない。世の中は自己の想像とは全く正反対の現象でうずまっている。
そこで吾人の世に立つ所はキタナイ者でも、不愉快なものでも、いやなものでも一切避けぬ、否進んでその内に飛び込まなければ何も出来ぬという事である。
ただきれいにうつくしく暮らす、即ち詩人的にくらすという事は生活の意義の何分一か知らぬがやはり極めて僅少な部分かと思う。で『草枕』のような主人公ではいけない。あれもいいがやはり今の世界に生存して自分のよい所を通そうとするにはどうしてもイプセン流に出なくてはいけない。
この点からいうと単に美的な文字は昔の学者が冷評した如く閑文字に帰着する。俳句趣味はこの閑文字の中に逍遥して喜んでいる。しかし大なる世の中はかかる小天地に寐ころんでいるようでは到底動かせない。しかも大に動かさざるべからざる敵が前後左右にある。いやしくも文学を以って生命とするものならば単に美というだけは満足が出来ない。ちょうど維新の当士勤王家が困苦をなめたような了見にならなくては駄目だろうと思う。間違ったら精神衰弱でも気違いでも入牢でも何でもする了見でなくては文学者になれまいと思う。文学者はノンキに、超然と、ウツクシがって世間と相遠ざかるような小天地ばかりにおればそれぎりだが、大きな世界に出ればただ愉快を得るためだなどとはいうていられぬ。進んで苦痛を求めるためではなくてはなるまいと思う。
君の趣味からいうとオイラン憂い式で、つまり自分のウツクシイと思う事ばかりかいて、それで文学者だと澄ましているようになりはせぬかと思う。現実世界は無論そうはゆかぬ。文学世界もまたそうばかりではゆくまい。かの俳句連、虚子でも四方太でもこの点においてまるで別世界の人間である。あんなのばかりが文学者ではつまらない。というて普通の小説家はあの通りである。僕は一面において俳諧的文学に出入りすると同時に一面において死ぬか生きるか、命のやりとりをするような維新の志士の如し烈しい精神で文学をやって見たい。それでないと何だか難をすてて易につき劇を厭うて閑に走るいわゆる腰抜文学者のような気がしてならん。『破戒』にとるべき所はないが、ただこの点において他を抜く事数等であると思う。しかし『破戒』は未だし。三重吉先生『破戒』以上の作をドンドン出し玉え。以上。
十月二十六日
鈴木三重吉様 夏目金之助」
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やはり漱石は燃えていた。