「日本と日本人」 貝塚茂樹 角川文庫 1974年
読める歴史 p182〜
「三月上旬の晴れた寒い日の昼下がり、桑原武夫君とひと気の余りない京都ホテルの地下のカフェテラスの一隅で二時間ほど歴史についてだべった。明治以後のわが国の歴史の代表的著作としてどの本を選ぶかという、編集業務に関する桑原君の問いに始まったが、例によって脱線して止まるところを知らぬ始末になった。
明治以後の日本歴史学会は、立派な専門的論文をたくさん生み出した。ところが歴史学的に価値があって、しかも現在一般の知識人が教養として読めるものを推薦しろと頼まれると、なかなか適当な本が頭に浮かんでこない。明治以後という制限を外して日本の史学の名著としたらどうなるであろう。
私が始めて史学を志して、父の親友でもあった恩師の内藤湖南先生の門をたたいたのはかれこれ四十年前の大正の末期であった。先生は日本の史学で発展的史観をとるものとして『大鏡』『神皇正統記』『読史余論』『大勢三転考』を必読の書としてあげられ。これを読み終えてから『史記』『通典』『通史』『文史通義』等の中国の史書に及んだらよいと、即座にまるで用意された答弁のように淀みなく明快なお答えをいただいた。
内藤湖南先生があげられた日本史学の四大名著も現代では、残念ながらそのままの形では一般の読み物として通用しない。このうちの前二著は西洋史の時代でいえば中世の著作であるし、後の二著の時代は近世にはいるが、西洋の近代の歴史学の始めであるヴォルテールなどの啓蒙史学の盛んなる以前の作品である。こんな古い時代の作品が、日本のように明治維新以後漢学から西洋学へという徹底的な文化革命をへた現代の日本でそのままの形で読めなくなったとしてもちっともふしぎな話ではない。これは著者の責任ではないことはもちろん、著作自体の価値にほとんど関係はないといってよかろう。
問題は明治維新以後の日本に読める歴史が乏しいこと、ことに専門家の書いた歴史に読めるものがほとんどないということである。読める歴史というと、日本史の専門家外たとえば古いところでは竹腰の『日本歴史』とか、徳富の『近世日本国民史』、近くは和辻哲郎の『日本古代文化』『鎖国』などがある。歴史家のなかでも西洋史の原勝郎が『日本中世の研究』や東洋史の内藤湖南が『日本文化史研究』のような読める歴史を出していられる。内藤は例外であるが、徳富をふくめてこれらの非専門歴史家はみな外国の歴史を模範として日本史を書いたのであった。
日本になぜ読める歴史が出ないかという問いにたいする答えは、少し大胆だが、日本歴史の専門家自身が読める歴史の伝統を持たないならだと答えたい。」
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自分で自分の歴史を省みるむずかしさ。