「英霊の言乃葉(8)」 靖国神社
海軍少尉 瀧澤 光雄 命
(昭和十九年十月二十五日 比島方面にて戦死 長野県埴科郡出身 二十歳)
「元気で行って参ります。
二三年来は、御両親及び兄上達より、事毎に至らぬ事が多いため、注意を受けて来ましたが、此の度、此の汚名を悉く拭ふ時が来たと喜びに耐へません。
伸び行く物は、其の前に必ず収縮するものです。鎖国といふ収縮の状態が有つてこそ、維新の折にあれほど日本は伸び得たのです。其の通り、光雄にも至らぬ時代、不孝の時代は有りました。然し其れは、私の将来の洋々たる伸びに対する準備期であつたのだとお考へ、お許しください。
勿論、伸びは無料では得られません。熱、努力、服従、忍耐等あらゆる犠牲的精神を要します。けれど、決して御心配なさいますな。光雄には、確固たる自信が有ります。信念が有ります。どうか、御両親様には、深い信頼の眼で光雄の将来を御期待ください。
では、父上様は御老体と血圧が高いのですから、御無理をなさらずくれぐれも食物に御注意ください。御両親様並びに吾が親愛なる同朋諸兄の健在を祝福して筆を擱きます。
つるぎ太刀腰にとり佩きすめらぎの
御門を守り吾を措きて人はあらじ
十七年三月三十日
光雄 拝」
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ご冥福をお祈りします