2021年04月02日

明治の芝居

「明治劇談 ランプの下にて」 岡本綺堂著 岩波文庫 1993年

 p187〜
 「…「泉三郎」で思い出されたのは、その翌月(明治二十四年十一月)、歌舞伎座で再び「泉三郎」を上演するようになったことである。これは在来の「腰越状」の泉三郎で、前の「泉三郎」とは何らの関係がある訳ではないが、「泉三郎」がまた出るというので世間の噂にのぼった。歌舞伎座でも最初からこの狂言を択んだのではなく、一番目は桜痴居士作「太閤軍記朝鮮巻」五幕、二番目は「高田の馬場」、大切浄瑠璃は「雪月花」という組合せで開場したのであるが、一番目の四幕目に朝鮮の王妃と王子らが我が陣所に捕虜となっているところへ、朝鮮の勇将征東使伯寧がおなじく捕虜となって来て、敵中で君臣対面の場がある。加藤清正は団十郎、王妃は先代の秀調、伯寧は八百蔵(後の七代目中車)で、作者は朝鮮側の面目を立てるために忠勇なる伯寧を点出して、それを当時売出しの八百蔵に勤めさせたのであった。

 おおわらわの伯寧が縄付の姿で王妃らの前に平伏し、自分らが不覚にして王妃らにかかる恥辱を見せたる罪を謝するところは、文字通り声涙倶に下るの悲壮な場面で、この場が最も好評を博していたのであるが、興行の中途で朝鮮公使から外務省にむかって抗議を提出した。歴史上の事実はともあれ、自国の王妃王子が捕虜となっているところを舞台の上で公演するのは穏当ではない、どうか中止を命じてもらいたいというのである。前にもいう通り、作者の方ではむしろ朝鮮側に贔屓してこの場を作ったのであるが、王妃王子の問題に対しては何とも抗弁するわけには行かないので、結局この一場はだけを抜くことにして折合いが付いた。その代わりに何か一幕加えなければならなくなったので、俄かにこの「腰越状」を挿むことにした。五斗は団十郎、関女は秀調、泉三郎は八百蔵という役割で、ここに再び泉三郎を舞台の上に見ることになったのであった。…」

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綺堂ならではの楽屋話
posted by Fukutake at 12:36| 日記