「福翁自伝」 福沢諭吉 著 富田正文 校訂 岩波文庫
幼少の時
反故を踏み お札を踏む p22〜
「また私の十二、三歳の頃と思う。兄が何か反故を揃えているところを、私がドタバタ踏んで通ったところが、兄が大喝一声、コリャ待てと酷く叱り付けて「お前は眼が見えぬか、これを見なさい、何と書いてある、奥平大膳大夫と御名があるではないか」と大層な剣幕だから「アア左様でござりましたか、私は知らなんだ」と言うと「知らんと言っても眼があれば見えるはずじゃ、御名を足で踏むとは如何(どう)いう心得である、臣子の道は」と、何か六かしい事を並べて厳しく叱るから謝らずにはいられぬ。「私が誠に悪うございましたから堪忍して下さい」と御辞儀をして謝ったけれども、心の中では謝りも何もせぬ。「何の事だろう、殿様の頭でも踏みはしなかろう。名の書いてある紙を踏んだからって構うことはなさそうなものだ」と甚だ不平で、ソレカラ子供心に独り思案して、兄さんのいうように殿様の名を書いてある反故を踏んで悪いと言えば、神様の名のある御札を踏んだらどうだろうと思って、人の見ぬ所で御札を踏んでみたところが何ともない。「ウム何ともない、コリャ面白い、今度はこれを洗手場に持って行って遣ろう」と、一歩進めて便所に試みて、その時はどうかあろうかと少し怖かったが、後で何ともない。「ソリャ見たことか、兄さんが余計な、あんなことを言わんでも宜(い)いのじゃ」と独り発明したようなものだが。こればかりは母にも言われず、言えば屹と叱られるから、独りで窃(そつ)と黙っていました。
稲荷様の神体をみる
ソレカラ一つも二つも年を取れば、おのずから度胸も好くなったとみえて、年寄などの話にする神罰冥罰(しんばつみょうばつ)なんということは大嘘だと独り自ら信じ切って、今度は一つ稲荷様を見て遣ろうという野心を起こして、私の養子になっていた叔父様の家の稲荷の社の中には何が這入っているか見て見たら、石が這入っているから、その石を打擲(うちや)ってしまって代わりの石を拾うて入れて置き、また隣家の下村という屋敷の稲荷様を明けて見れば、神体は何か木の札で、これも取って捨ててしまい平気な顔をしていると、間もなく初午(はつうま)になって幟(のぼり)を立てたり太鼓を叩いたり御神酒を上げてワイワイいているから、私は可笑しい。「馬鹿め。乃公(おれ)の入れて置いた石に御神酒を上げて拝んでいるとは面白い」と、独り嬉しがっていたというような訳けで、幼少の時から神様が怖いだの仏像が難有(ありがた)いだのいうことは一寸(ちょい)ともない。卜筮呪呪詛(うらないまじない)一切不信仰で、狐狸が付くというようなことは初めから馬鹿にして少しも信じない。子供ながらも精神は誠にカラリとしたものでした。」
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近代実証主義の権化