2020年12月31日

お化けの話

「妖怪談義」 柳田国男 著 講談社学術文庫

p13〜
 「化け物の話を一つ、出来るだけまじめに又存分にしてみたい。けだしわれわれの文化閲歴のうちで、これが近年最も閑却せられたる部面であり、従ってある民族が新たに自己反省を企つる場合、特に意外なる多くの暗示を供与する資源でもあるからである。わたしの目的はこれによって、通常の人生観、わけても信仰の推移を窺い知るにあった。しかもこの方法をやや延長するならば、あるいは眼前の世相に歴史性を認めて、徐々にその因由を究めんとする風習をも馴致し、改宗せしめるの端緒を得るかも知れぬ。もしそういう事ができたら、それは願ってもない副産物だと思っている。
 私は生来オバケの話をする事が好きで、又至って謙虚なる態度を以って、この方面の知識を求め続けていた。それが近頃はふっとその試みを断念してしまったわけは、一言で言うなら相手が悪くなったからである。先ず最も通例の受返事(うけこたえ)は、一応にやりと笑ってから、全体オバケというものはあるものでございましょうかと来る。そんな事はもう疾(とく)に決しているはずであり。又私がこれに確答し得る適任者でないことは判っているはずである。すなわち別にその答えが聴きたくて問うのではなくて、今はこれより外のあいさつをしようを知らぬ人ばかりが多くなっているのである。偏鄙な村里では、怒る者さえこの頃はでて来た。なんぼわれわれでも、まだそんな事を信じているかと思われるのは心外だ。それは田舎者を軽蔑した質問だ、という顔もすれば又勇敢に表白する人もある。そんならちっとも怖いことはないか。夜でも晩方でも女子供でも、キャッともアレエともいう場合が絶滅したかというと、それとは大違いの風説はなお流布している。何の事はない自分の懐中にあるものを、出して示すこともできないような、不自由な教育を受けているのである。まだしも腹の底から不思議なことのないことを信じて、やっきとなって論弁した妖怪時代がなつかしいくらいなものである。ないにもあるにもそんな事は実はもう問題ではない。われわれはオバケはどうでもいるものと思った人が、昔は大いにあり、今でも少しはある理由が、判らないので困っているだけである。」
(本文の執筆は、昭和十三〜十四年頃)

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不思議を不思議と思える強い意志が必要。

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posted by Fukutake at 09:03| 日記