2020年12月23日

小林秀雄の思い出

「小林秀雄 百年のヒント」
  (「新潮」四月号 生誕百年記念 臨時増刊)2001年

小林秀雄全集 推薦の言葉 

 「自分の言葉に命をかけた人」 河合隼雄
「小林秀雄というと、白洲正子さんにお聞きした彼の生き方が目に浮かんでくる。それは端的に言えば、「自分の言葉に命をかけた人」である。彼の評論には気合が入っている。と言って、声高ではない、静かな言葉がピンと張りつめた
ものがある。
 一億総評論家などというとき、それは評論すべき対象が第一義に存在し、それに対して二義的にもの言いをする無責任さを伴う。それだからこそ、気安く楽しむこともできる。
 小林秀雄は、評論を第一義的なものとして確立することに成功した。彼は評論の対象について語ったりはしない。対象と対峙しているうちに、彼と対象との距離はほとんどゼロに接近し、そのときに彼は命をかけた言葉を書きつらねるのだ。彼の言葉が先行し、それによって対象が生きてくるとさえ感じられる。
 無責任な評論が量産されている今日において、小林秀雄を読むのは、背筋を正されるような感じがして心地よいのである。」
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  「悠然として渾然たるネヴァ河」 安岡章太郎
 「一九六三年、小林秀雄、佐々木基一の二氏に私を加えた三人は三週間ほどのソ連旅行に出た。何の目的もない旅だが、それが甚だ愉快であった。
 エルミタージュ美術館に出掛ける前夜、通訳のリヴォーヴァさんが、「いよいよエルミタージュですよ、ようく休んで疲れを取って置いてね」という。「わかりました」と佐々木さんが謹厳にこたえる。そんなヤリトリを奥の部屋で聞いていた小林さんは、「なに、エルミタージュ? どうせペテルブルグあたりに来ているのは、大したものじゃなかろうよ」と、甚だ素気ない様子であった。
 翌朝、その小林さんの姿がホテルの中に見えない。われわれが狼狽気味に部屋を探していると、「やあ失敬」と先生があらわれた。「朝起きぬけに一人でネヴァ河を見てきた」とおっしゃる。「ネヴァ河ですか」私たちは唖然とした。小林先生の地理勘は甚だ弱くて簡単な道にもすぐ迷われるからだ。「しかしネヴァは、じつに好い河だ、悠然としていて、あれこそロシアそのものだ」だが私には、その悠然渾然たるものは、河の流れよりも、寧ろ先生自身の人生態度にあるように思われた。」

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posted by Fukutake at 12:27| 日記