2020年10月28日

ことば

「小林秀雄 百年のヒント」(「新潮」四月号 生誕百年記念臨時増刊)
2001年

  「わが小林秀雄 『言葉とモノ』」
 養老孟司 p286〜

「生まれたときから、鎌倉に住んでいる。本屋でたまに見かける、まさに鶴のような老人が小林秀雄たったはずだというのは、あとで気がついたことである。
 私の家は駅前の路地にあった。そこを出て、鶴岡八幡宮に向かう別な路地をしばらく行くと、小林という標札がかかった目立つ家があった。これが小林秀雄が最後に住んだ家ではないかと思う。
 駆け込み寺、今では隆慶一郎の時代小説の舞台といったほうが一般的かと思うが、その東慶寺に小林秀雄の墓がある。鎌倉時代の五輪塔を利用したもので、バレーボールの大松監督の墓の近くにある。ただし、文字が入っていない。だから知らない人は、小林秀雄の墓とは思わないであろう。…

 小林秀雄は物理好きだったらしい。書いているものを読むと、昔のインテリの物理好みが出ているような気がする。脳はだめである。脳科学なんか、ほとんど信じていなかったと思う。たとえ本人が脳研究をしても、エックルスやペンフィールドのように、晩年になって「脳を調べても心はわからない」といったかもしれない。調べる前からそういっていたから、この二人の先駆者よりもっと先駆的だったともいえる。
 言葉の研究から脳が抜けているのは、明らかにおかしい。小林秀雄には、あるいは彼が代表する時代風潮には、いくらかその責任がある。脳の科学など持ち出さなくても、言葉を考えるためには、脳を思考から抜くことができないことは、当時の常識としても明らかだったと思うからである。仏文出身であるなら、デカルトを読まないはずはない。デカルトのコギトは、繰り返し私が戻る主題である。いまではコギトが言葉の根源かもしれないと思う。…

 言葉とモノ。それに私は脳を付け加える。それだけである。そうすれば、小林秀雄が停止した点から、一歩進むことができる。その意味で、私は小林の後生である。後生畏るべし。小林秀雄がそう思うかどうか、それは知らない。ともかく私は彼の先を考えていると勝手に思っている。それは私が後の時代に生まれたからに過ぎない。」

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脳が考える外的世界はウソかもしれない。小林秀雄は言葉を信じた。
posted by Fukutake at 11:07| 日記