2020年10月28日

最終段 道行き

「曽根崎心中」近松門左衛門 角川ソフィア文庫 2007年

曽根崎心中 お初徳兵衛道行 夢の夢 p155〜
 「此の世のなごり。夜もなごり。死にに行く身をたとふればあだしが原の道の露。一足づつに消えて行く。夢の夢こそ哀れなれ。あれ数ふれば暁の。
七つの時が六つ鳴りて残る一つが今生の。鐘の響きの聞きおさめ。寂滅為楽と響くなり。鐘ばかりかは。草も木も。空になごりと見上ぐれば。雲心なき水の音 北斗はさえて影うつる星の妹背の天の川。梅田の橋を鵲(かささぎ)の橋と契りて(徳兵衛)「いつまでも。我とそなたは女夫(めおと)星。かならず添ふ」とすがり寄り。二人が中に降る涙 川の水嵩もまさるべし。向ふの二階は。何屋とも。おぼつか情け最中にて。まだ寝ぬ灯影声高く。今年の心中よしあしの。言の葉草や。しげるらん。聞くに心もくれはどり(お初)「あやなや昨日今日までも。よそにいひしが明日よりは我も噂の数に入り。世にうたはれんうたはばうたへ」うたふを聞けば。」
 …
 (お初)「なつかしの母様やなごり惜しの父様や」と。しやくりあげあげ声も惜しまず泣きければ。夫もわつと叫び入り、流涕こがるる心意気 理(ことわり)せめて哀れなれ。(お初)「いつまでもいうてせんもなし。はやくはやく殺して殺して」と最期を急げば(徳兵衛)「心得たり」と。脇差するりと抜き放し。(徳兵衛)「サア只今ぞ 南無阿弥陀仏々々々々々」と。いへどもさすがに此の年月いとしかはいと締めて寝し。肌に刃が当てられうかと。眼(まなこ)もくらみ手も震ひ弱る心を引き直し。取り直してもなほ震ひ突くとはすれど切先は。あなたへ外れこなたへそれ。二三ひらめく劔の刃。あつとばかりに喉笛に。ぐつと通るが(徳兵衛)「南無阿弥陀仏々々々々々南無阿弥陀仏」と。くり通しくり通す腕先も。弱るを見れば両手を延べ。断末魔の四苦八苦。哀れといふも余り有り。(徳兵衛)「我とても後(おく)れうか息は一度に引き取らん」と。剃刀取って喉に突き立て。柄も折れよ刃も砕けとゑぐり。くりくり目もくるめき、苦しむ息も暁の知死期(ちしご)につれて絶え果てたり。
 誰(た)が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞こえ、取り伝え貴賎群衆(きせんぐんじゅ)の回向の種 未来成仏 疑ひなき恋の手本となりにけり。」

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posted by Fukutake at 11:04| 日記