2020年10月27日

役人のヤキモチ

「恋に似たもの」 山本夏彦 文春文庫 1986年

やきもち p104〜
「この世はやきもちで動いているのではないかと、かねがね私は怪しんでいる。
 何年か前、深川木場の長谷川万次郎という材木屋のご主人が死んだ。たいそうな金持ちで、何度も長者番付に出た人である。遺産が百億あったが、相続税を七十五億奪われて、実際には遺族の手にわたったのは二十五億だったと新聞で見た。
 ご承知の通り我が税制は苛酷で、相続する際その大半を奪うから、金持ちは三代目には一文なしになる。共産党ではないけれど、金持ちを何か悪いもののように思っている。
 私は金持ちではないが、金持ちというものは文化のためには存在したほうがいいと思って、金持ちについて調べようと心がけている。けれどもわが国には金持ちが皆無になったので、調べがつかないでいる。
 金持ちがいて、中くらいがいて、貧乏人がいて、かっぱらい巾着切ドロボーのたぐいがいて、そして橋の下には乞食がいて、はじめて世の中である。それは老若男女がいて賢愚美醜がいて、はじめて世の中であるに似てる。
 今の税制は金持ちを目の敵にしているから、あれは貧乏人が考えたもので、金持ちの考えたはものではないと分る。税制を改めるときは、中産階級も金持ちも参加させたほうがいい。
 昨今のいわゆる中流は、百坪の土地に住むものを金持ちだと思っている。マイホームというものは、三、四十坪の土地に、二、三十坪の豆住宅を建てるものだと思っている。千坪万坪の屋敷があることを知らないし、今どきそんなものがあったら許せないといきりたつ。
 戦前の山の手の住宅には、たとい貸家でも庭があって、庭があれば庭木があった。社寺があれば境内には同じく樹々が茂っていた。わが国に公園が出来なかったのは、どんな家にも庭があったから、それを必要としなかったし、それを作る発想が生じなかったのである。戦前の東京を航空写真で写したら、緑におおわれていたはずである。
 持てるものから奪うのは正義だと、持たないものが思うから、税吏は遠慮なく奪うのである。税吏だって尻押しがなければ、八割も九割も奪えはしない。

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果ては、銀行利子にも課税する。
posted by Fukutake at 10:59| 日記