2020年10月26日

武士の意地

「横から見た 赤穂義士」(三田村鳶魚文庫5) 三田村鳶魚 著 朝倉治彦 編
 中公文庫 1996年

 武士の一分と忠義 p348〜
 「討ち入りに参加したのは四十七人(うち足軽寺坂吉右衛門は討ち入り後逃亡した)、その三分の一が切米取りの侍であり、百石から二百石の知行を持つ馬廻の士に近い数を占める。
 このような構成は、赤穂事件をそれほどさかのぼらない時期に流行した殉死者の構成に似ている。殉死者にも、主君の恩寵を被った小姓らに混じって下級武士が大勢いるのである。
 彼らの心情を推し量ると、身分的にかけ離れた存在であるだけに、主君のわずかな厚意が命をかけるほどの忠誠心を呼び起こすのである。
 たとえば、大高源五は、「近侍祇候(しこう)(近習)」とはいえ、御膳番という下級の役職であった。本人の母への書状にも、「重職に昇り深恩をこうむった者は多いが、自分は身分が低いため、それほどの恩寵にも預かったわけではありません。かつて君主に近侍し、朝夕先君の近くに仕え、おごそかなその顔やおだやかな言葉が、今になっても夢に出てきて、忘れることができないから討ち入りに参加するのです」と言っている。藩主との距離は近く、藩主との一体感を形成しやすかったのであろう。
 しかし、彼は主君に殉じようとするだけではない。次のように述べている。
 ああ、君仇かくの如し、而してこれが臣たる者、座しながらにしてこれを視、死を以って報いずんば、国に人ありと謂ふべけんや、
 つまり、かれは、単に主君の遺恨に感情移入しているだけでなく、かれ自身の心情として、主君の戦闘を継続しなければ藩士の「一分」(これはみずからの「一分」でもある)が立たないと考えているのである。これは下級とはいえ武士の矜持である。「かぶき者」の心情である。
 赤穂の牢人たちの行動の動機は、武士としての「一分」を守る、という一点にあったという。主君が切腹に処せられたのに。その喧嘩相手である吉良上野介(義央)が生きていて何の処罰も受けないというのでは、家臣としての自分たちの「一分」が立たない、いかなる形にせよ自分たちの「一分」が立つようにしたい、というのが義士たちに共通する信念であった。」

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忠義のためというより、自己の心情、体面のために討ち入りに参加した。
posted by Fukutake at 08:37| 日記