「鬼むかし 昔話の世界」 五来 重 角川選書 1991年
鬼からの逃走 p127〜
「柳田國男翁も『日本昔話名彙』の「厄難克服」の中に「鬼の子小綱」を分類して、説明の最後に「そこで鬼の子は杓子で滑稽なまねをしてみせたので鬼は笑い出して、その拍子に海水をはき出し、無事に船は沖に出て家に還る事が出来た」とする。せっかく、ほとんどの「鬼の小綱」に、歴代の民衆がヘラまたは杓子を語りのこしてくれたのに、その意味をかんがえみようともしなかった。またこの昔話には杓子という語りと箆という語りがあることも注意しなければならないが、杓子はヘラという方言があるというだけでは、十分な説明とは言えないであろう。私はこの双方ともに庶民の過去の具体的な生活の跡があらわれていると思う。
ヘラについては、尾籠な話であるが、人間と産まれたら一生涯一日一回は厄介にならなければならぬ、トイレットペーパー前史がかくれている、と私はかんがえる。インテリならば、禅問答の「無位の真人乾屎橛(しんじんかんしけつ)(糞掻箆)」を想いおこすかもしれないが、民俗採訪ではときどき、昔の便所(厠)には竹篦が置いてあった話を聞く。もう一つのトイレットペーパー前史は、戸外の厠から家の戸口まで縄を一本張ってあった話で、これをまたいで尻にはさんだまま戸口まで歩いてくる間に綺麗になっている、という。鬼でなくとも笑いそうな話なので、冗談でしょうと言うと、いやたしかにあった話だという。切藁を便所に置いてあった話と、蕗の葉などを置いてあった話は、たしかに使ったということを、私は越中の山村で聞いたことがある。しかし竹篦となると、禅寺ではともかく、村人の寄合の馬鹿話の席でも、皆が笑い出す段階で、「鬼の子小綱」の箆は語られたのであろう。そうでなければ尻をまくって箆で叩く、という発想は出ないなずである。
もう一つの杓子のというのは、杓子が魔除けになるという庶民信仰から、鬼を追い払う咒具として語られたもので、いくら良い音が出るからといって、女の尻を叩かなくてもよかったのであるが、先行していた箆に引かれて、叩く趣向になったものとおもう。杓子はよく主婦権の象徴といわれて、世帯を長男の嫁に譲るのを「ヘラ渡し」というから、女性に縁が深いので、箆は杓子に転訛しやすかったのであろう。柳田國男翁は『石神問答』で、御左口(みさくち)神あるいはオシャモジ様は、サイの神とおなじでダイノコンゴウは粥杖であらわされ、女性の尻を打つ咒具だ、といっている。これもシャモジで尻を打つモチーフの基になるかもしれない。」
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けつをまくって肛門付近をヘラで叩いたのだろう。そうでもしないと鬼は笑わないだろう。