「人生の必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」 ロバート・フルガム
池央 耿 訳 河出文庫 1996年
終わりのない終わり p269〜
「本の終わり方でわたしが好きなのは終わりがないことである。ジェームズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』は文章の途中で、句読点もなく、何の説明もないままぷっつんと終わっている。一部には、この尻切れの文章は冒頭の未完の文章と繋がって作品全体が輪廻をなすことを暗示しているのだと言う学者もある。これはいい。わたしはこういうのが大好きだ。もっともジョイスはこれについて何も言っていない。どう解釈するかは読む者の自由である。
これとはくらべものにはならないかもしれないが、わたしは一番上の息子がまだ幼い子供だった頃、いつも寝るときに枕元で話を聞かせてやったことを思い出す。話しだしてまだいくらも経たないうちに、子供は決まってその前はどうだったのかと尋ねたものだ。そして、そんなふうに子供の相手をした経験があればおわかりの通り、話がどんなにめでたしめでたしで寓意が明らかに終わっても、暗がりから睡気にかすれた声が聞こえてくる。「それからどうしたの、パパ?」
この本のはじめにわたしは、そもそものきっかけになった出版エージェントからの問い合わせのことをお話しした。ほかににも何か書いたものはないか、という質問だった。ないことはない。とわたしは答えた。ずっと後になってわたしはまた訊かれた。今度は、もっとほかに書いたものはないか、という問い合わせである。前と同じで、ないことはない、とわたしは答えた。いくらでもある。生きている限り、書く材料には事欠かない。
とはいうものの、やはりここでひとまずおしまいにしよう。人間存在という布に縫い目はなくとも、織り手は夜になれば帰って寝なくてはならない。
この次は、鮭の話をしようと思う。ほかにもいろいろある。ミス・エミリー・フィップスのこと。アイダホ州ポカテロの雑貨屋の看板のこと。さんざんな結婚式のこと。アスベストス・ゲロス(堪えきれぬ笑い)というギリシャ語のこと。救世海軍のこと。今知っていることを前から知っていた男のこと。世界最小のサーカスのこと。ハイスクールに実態について、寝ようとしたらベッドが火事だった時のこと。それから」
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