「」ファインマンさん ベスト・エッセイ」 リチャード・P・ファインマン
大貫晶子・江沢洋 訳 岩波書店 2001年
科学ではない科学… p32〜
「科学が成功したせいで、一種の擬似科学といったものが生まれたと僕は思うね。その科学でない科学の一例が社会科学だ。なぜかというとあれは形式に従うだけで、科学的な方法に従っていないからだよ。データを集めてみたり、もっともらしくあれやこれややってはいても、別に法則を見つける訳でもないし、何も発見してない。まあ将来何かに到達するかもしれないが、いまのところは低迷中で、まだよく発達してないんだ。しかもこれがもっと世俗的なレベルの話でね。世の中には何につけ、いかにも一種の科学専門家みたいに聞こえる「エキスパート」どもがそろってる。だが、科学的どころか、やっていることといったらタイプライターの前に腰を据えて、ええとそれ、有機肥料を使って育てた作物のほうがそうでない肥料で育てた作物より身体によい、とか何とかいうゴタクをでっちあげる。そりゃほんとうかも知れないし、ほんとうでないかも知れないが、どちらにせよ証明なんかぜんぜんなしだ。ところが彼らはとにかくタイプライターの前に座って、科学者気取りででっち上げに余念なく、いつもまにか食物とか自然食品とかの専門家とやらにのしあがってしまう。そのあたりじゅう、ありとあらゆる神話や疑似科学があふれてるよ。
もっとも僕の考えがぜんぜん誤りで、あの連中もほんとうに何か知っているのかもしれないが、僕にはどうもそうは思えない。なぜかというとね、僕は何かを知るということがどんなに大変なことか、実験を確認するときにはどれほど念を入れなくてはならないか、まちがいをしでかしたり、自分をうっかりだましてしまったりすることがどんなにたやすいかを、肝に銘じているからなんだ。何かを知るということはどういうことなのか、僕は知っている。だが連中の情報の集めかたを見ていると、なすべき研究もせず、必要な確認もせず、決して欠かせぬ細心の注意も払ってないじゃないか。だから彼らがほんとうに知っているとは信じられないんだ。彼らの知識は本物ではなく、やっていることもまちがっているのに、偉ぶって人を威圧しているんだと思えてしかたがない。僕は世間のことにはうといが、とにかくこう考えるね。」
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ごもっとも。