2020年01月15日

試験地獄

「科挙」−中国の試験地獄− 宮崎定市 中公新書 1963年

あとがき より
p214〜
 「中国の科挙制度はその前に存在した貴族制度の代替として考案され、日本の学校制度は封建制度が崩壊した直後に、主として官吏養成の目的で設けられた点に何かしら共通なものをもっている。そして社会の地盤には十分な近代的条件がそろっていなかったことも併せ指摘さるべきであろう。正直にいって日本の現在の社会には、まだ非常に封建的な、前近代的な要素を多分に含んでいる。特に労働市場の狭いことから、終身雇用制が社会のいたるところに行われている点が、入学試験地獄が発生する、一つの社会的地盤になっていると思われる。
 中国旧時代の官吏は典型的な終身雇用者である。官吏となれば、終身その地位が保証される一方、他に転業することが非常にむつかしい。そういう地位に就くことを最終の目的として科挙の困難な試験に世人が殺到するのである。日本の現在もややこれに似たところがある。終身雇用制だから、最終学校の卒業と就職とが密接に結合し、一度就職してしまったならば、その後は転業がむつかしく、あるいはほとんど不可能な状態にある。大蔵省の官吏となれば一生大蔵省ですごし、住友に入れば一生住友マンで通す、とすると、一生の運命はほとんど卒業の一瞬間に定まるようなもので、この点科挙と非常によく性質が似通っている。だから卒業の際にいちばん就職に都合よさそうな大学へ我がちに入ろうとし、そのためには最もその大学に可能性の多い高校に入ろうとし、高校のために中学校をえらび、中学校のために小学校をえらび、小学校のために幼稚園をえらぶという一連の最難関競争コースがいつのまにか出来上がってしまう。この一ヶ所への集中、偏在が試験地獄を発生させるのである。…
 日本の試験地獄の底には、封建制に非常に近い終身雇用制が横たわっており、これが日本の社会に真の意味の人格の自由、就職の自由、雇用の自由を奪っているのである。それが大官庁、大会社ほどひどいから困ったものである。
 会社は学校の新卒業生を雇用した時、もうそれから先一生を買い上げたつもりで、忠誠を要求する。それは人間的な誠実ではなくして、封建的、没我的な忠誠なのである。もし自己一生の都合でその会社をとび出せば、裏切り扱いをされるだろう。もしもっと有利な条件で雇う雇い主が現れると、極力義理人情で引きとめようとするだろう。それは労働を買ったのではなく、人格まで買ったことを意味する。」

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執筆から半世紀経った現在でも大組織内では、徒弟制度的な上下関係があるようだ。
posted by Fukutake at 08:58| 日記