2019年11月26日

驚くべき手話

「手話の世界へ」 オリバー・サックス 佐野正信訳 晶文社 1996年
(その1)

聴覚障害について
p42〜

 「相当の天分に恵まれていたデロージュといえども、「概念」を思い描いたり、「論理的話法」を実践したりするには、まず手話を習得しなければならなかった。」
  『私たちは漫然と単語や記号(サイン)を並べて発話や思考を行なっているのではなく、ある特定の仕方で単語や記号を相互に参照させあうことによって発話や思考を行なっている。… その各部の適切な相互関係がなければ、口頭の談話は、命題(プロポジション)を具体化することのない、たんなる名前の連続、単語の集積になってしまう。… 発話の単位が命題である。したがって発話の喪失(失語症)は、命題化する力の喪失である。… 発話しなくなる患者は、声を出して話せないという一般的な意味において発話を失っただけでなく、その最大限の意味において発話を失ったのである。私たちは自分の考えていることを内なる自己に伝えるためにも発話をおこなっている。発話は思考の一部なのである。』

 … この種の聴覚障害は、何らかの手だてが講じられないと、失語症にも匹敵する、事実上言葉の存在しない「命題化」の不可能な情況、思考それ自体が破綻してしまうことさえある情況をきたしかねないのだ。言葉をもたないろう者は、そのまま放置されると、最悪の場合、一見したところ愚鈍まがいの人間になってしまうかもしれない。<手話>の導入によって「はじめて知性への…扉が開かれる」−− こう記したシカール神父は、詩的であるばかりか、正当でもあったのだ。
 (ある唖者は言う)
  『私たちのあいだで使われている手話は、あらゆる対象の忠実なイメージであり、たえず観察や分析をおこなう癖をつけてくれるので、概念を正確に伝えたり、理解をいっそう深めたりするのにとても適している。手話は生き生きとした言葉である。手話は気持ちを表現し、想像力をはぐくんでくれる。強く激しい感情を伝えるのに手話ほど適した言葉はほかにない。』」

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驚くべき手話の世界

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posted by Fukutake at 14:16| 日記