2019年11月05日

「子どもに優しい社会」

「いま問いなおす 登校拒否」−これからの見方と対応− 頼藤和寛 
 人文書院 1994年
(その2)

ストレス
p91〜
「われわれは「現代社会のストレス」を声高に言い募るものだが、では貧困や結核や徴兵制度などの恐怖が支配していた時代に戻りたいかというと、決してそんなことはない。受験地獄はつらいものだが、さりとて奉公や身売りが一般的であった時代のほうがよかったとは言えないようなものである。つまり、仮に現代の条件は一部で悪化しているにせよ、別の面では随分改善されつつある。総合すれば、おそらくマシになっているのではなかろうか。というのも、昔の子供を現代に連れてくるのと、現代の子供を過去に送り込むのと、どちらが文句が少ないかを想像してみれば明らかである。
 現代っ子たちに、商家の丁稚や女中が勤まるとは到底思えないし、いやそれどころか、中卒後すぐに大都会に集団就職してくることさえ、心もとないぐらいである。しかし、つい三、四十年前まで、多くの子供たちは健気にもそうしていたのである。
 このことを忘れたり、頬被りした上での教育評論・心理評論などは所詮たわごとである。なぜ、子供側の変容に目をつぶり社会や制度ばかりをうんぬんするかというと、それが戦後評論のステレオタイプなスタイルであることと、子供を悪者にするとことが進歩的文化人のタブーになってるためであろう。
 結局、世間や教室での不快体験に対する抵抗力が低下していることが、最大の原因ではないかと疑われる。今日では、ちょっと級友から無視されたり嫌みを言われたりするだけで、身も世もなく苦しむ子供が多くなった。昔なら、貧困をバカにされたり、差別によって通学途上で石を投げられたりしても、歯を食いしばって通学するほどのハングリー・スピリットをもった子供がいたのである。
 つまり、昔の方がストレスへの対処行動がタフであったと言えるであろう。もちろんそれが子供の幸福だとは言えない。端的に言って不幸だったのだ。しかし、社会に余裕ができて、あれこれ児童に配慮できる段階になっても、今度は抵抗力の低下によって、昔なら問題にもならなかった程度の不快さえ耐えられない子供が現れてきたのである。
 このような歴史的なパラドックスではなかろうか。世を挙げて「子供によかれ」と配慮を尽くしたにもかかわらず、むしろそのことによって、いよいよ子供たちの要求水準を高め、抵抗力を低めてきたという皮肉。あとはイタチごっこがエスカレートするばかりである。」

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「優しい」社会が子供を結果的にダメにしてしまった。

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posted by Fukutake at 10:20| 日記