2019年08月16日

日記にみる日本人

「百代の過客」日記にみる日本人  ドナルド・キーン 関寿夫訳 
 講談社学術文庫 2011年

源家長日記より
 p185〜

 「家長は、後鳥羽上皇が、和歌はもとより、すべての学芸に秀でていたことを賞賛している彼は書いている。

 中にもわかの道はいひしらずとかや(いい知れずすぐれておられる)。かやうに申すはさしもなき事かなど人々思ぬべし(このように申すと、それほどでもないことを大袈裟にいうなどと人々は思うだろう)。されど御製どもおほくちり侍れば、たれもたれも見侍らんかし(けれども御歌が世間に広く散っているので、誰も見ることであろう)。

 院が管弦の道にも秀でていたことも、家長は讃えている。琴、笛、とくに琵琶の演奏には比類のない才能の持ち主であったと。また院は、季節ごとの遊びも大いに楽しみ、狩も好きであったが、「ものの命をたつ事つゆさせ給わず(生き物を殺すことは絶対になさらなかった)」という。また仏道にも深く心を寄せていて、「いまだわかき御心に十二人のそうをさだめて、不断の御読経たゆることなし(まだ幼少の頃から、十二人の僧を定めて、常に読経を絶えさせることがなかった)」と。
 仮に後鳥羽院が、『明月記』が書いているような、何等かの欠点を持っていたとしても、家長は、自分の腹の中だけに、それをしまっておいたにちがいない。
 後鳥羽院を描く筆つきに追従の嫌いはあっても、家長の日記には、読者を引きつける章句が少なくない。日記はまず御所の中の日常の描写に始まるが、その記述がまた鮮やかなのである。というのも、事柄の細部が、どう時代に書かれた他のどの日記よりも、はるかに生き生きと描かれているからである
 家長は、朝、庭を履いている下役の冠のゆがみ、殿上の小庭のあたりをあてもなくうろつく小舎人、えらいのはわれ一人とばかり、いかにもいばり返った小役人などの姿に、注意深い目を向けている。また作者は、主上に御膳を差し上げる時の気品の高いやり方にも感じ入っている。ところが、日本の他の日記作者と同じく、どのような食事が供されたのかは、残念ながら、彼は全く書いていない。そのようなことは、筆にする値打ちもないようなのである(食事の内容をことこまかに描写する中国人やヨーロッパ人と、そういうことに無関心な日本人との、なんたるちがい!)。

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posted by Fukutake at 13:06| 日記