2019年06月05日

お金のための人生

「プラトンの哲学」 藤沢 令夫 著 岩波新書 1998年
 (その2)

 果てしなき戦い

  p222〜
 「生物的生存のための利便と快適の追求が、科学技術に取りこまれた「知」と「理」のシステムに委ねられるとき、人間の欲望水準は限りなく上昇していく。科学技術が作り出す「(いままではなくてすんでいたものが)あると便利で快適なもの」(道具、機械、交通手段、人工的環境など)は、やがて次つぎと「ないとやって行けないもの」となり、そして産業社会の体制と化している科学技術の「知」はそこでストップすることを許されず。さらに次つぎと「より便利で、より快適なもの」を開発し、それがまた「ないとやって行けないもの」の中に次つぎと繰りこまれる。この無限に続くかと思えるプロセスが当然消費するエネルギー産出の代価が、積もり積もって、人類の危機を招くような今日の事態を引き起こしたのである。
 (中略)
 プラトンは、『ゴルギアス』において、「技術」がたんなる「経験」や「熟練」や「なれ」から区別されて<技術>の名に値するための要件として、働きかける対象の本質的性格や、なぜそうなるのかの原因について理論的説明を与えることができるということと、さらに、「できるだけ快いこと」ではなく「できるだけ善いこと」を志向していなければならないことを強調している。はじめてこれを読んだときには、理論性の有無の点は十分納得できるとしても、後者の「快ではなく善をめざす」というのは「技術」そのものにとってはむしろ外的な要求ではないのかと私は思った。しかし、右に述べたような、科学技術がつくり出す快適さ便利さへの欲求がかぎりなく不可逆的に上昇していく現状を思うと、<技術>に対するプラトンのこの要請は、人間がのめりこみやすいこのような傾向性の洞察にもとづく要請だったかもしれない。− 人間が推し進めるべき<技術>は「生き延び」原理(快適への志向)でなく。「精神」原理(総合的価値としての<善>への志向)に導かれることを必須の要件とする、と。

 こうしてわれわれは、以上のような現代の状況の中で、あるべき自然万有の基本描像の見定めのためにも、それと関連しつつわれわれ自身の生き方のためにも、プラトンが遂行したのと同じ思想的闘いを続けるほかはないだろう。− 直接的には、ますます醜悪な金銭万能な風潮の蔓延に坑しながら。

 人間が一生物であるかぎり、この闘いそのものが、果てしなく続くであろう闘いなのだから。」

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『金や評判・名誉のことばかりに汲々としていて、恥ずかしくないのか。』(「ソクラテスの弁明」プラトン)

posted by Fukutake at 10:22| 日記