2018年12月28日

貧乏のススメ

「徒然草」 第二百十七段(後段)

金持ちと貧者は同じ

「…だいたい人間というものは、欲望を果たそうとするために財貨を求めるのである。金銭を財貨の第一と考えるのはあらゆる欲望を満たしてくれるからである。それに、欲望が生じてもこれを満たすことなく、金銭を蓄えても用いないでいるようなことでは、まったく貧乏人と変わるところがない。何の楽しみもないはずである。してみれば、大福長者の述べた、所願をかなえず銭を用いずの禁令の真意は、ただ、人間としての欲望をたち切って、貧乏生活を嘆かないようにしなければいけないということだと理解される。財貨を得たいという欲望を満たして銭をためこみ、それを用いることなくして心の安楽を得ようとするよりは、はじめから財貨を持たないで、清貧に甘んじている方がよほど気が利いているだろう。たとえば、癰(よう)や疽(そ)を患っている者が患部を水で洗って、その気持ち良さを喜んだりするよりは、はじめから病気にかからないでいるのに越したことはない。ここまで考えてくると、金がなくて使えぬ貧乏人も、金があっても使わぬ金持ちも変わるところがない。仏教でいう悟りの境地−−究竟(くきよう)も、迷妄の境地−−理即も等しいことになるし、大欲も無欲も変わるところはない。」

(原文)
「…そもそも、人は所願を成ぜんがために、財を求む。銭を財とする事は、願ひを叶ふるが故なり。所願あれども叶へず、銭あれども用いざらんは、全く貧者と同じ。何かを楽しびとせん。この掟は、ただ、人間の望みを断ちて、貧を憂ふべからずと聞こえたり。欲を成じて楽しびとせんよりは、如かじ。財なからんには。癰・疽を病む者、水に洗いて楽しびとせんよりは、病まざらんには如かじ。ここに至りては、貧・富分く所なし。究竟は理即に等し。大欲は無欲に似たり。」


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posted by Fukutake at 08:52| 日記